◆ 我 ら の 戦 い 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九八年一一月一日号 
        ▽信仰はたたかい

           
 ”愛する者よ、われ我らが共にあずかる救いにつき、はげみて汝らに書き贈らんとせしが、聖徒の一たび伝えられたる信仰のために戦わんことをすすむる書を、汝らに贈るを必要と思えり。”
     ユダ書三節

 「人類の歴史は『信仰と不信仰とのたたかいの歴史である』」とある作家は書いている。

 人それぞれにたたかいがあり、誰も他人にかわってすべてを処理することは出来ない。

 子供のかかえる人生の課題を母親がかわってたたかうと、いわゆるマザ・コン(母親依存)となる。

 神様は、私たちが自分の力でたたかう必要のある時に、肩がわりをしてくださるわけではない。

 ”わが子よ、主のこらしめを軽んずるなかれ、主にいましめらるる時、倦(う)むなかれ。そは主、その愛する者をこらしめ、凡てその受けたもう子を鞭(むち)うちたまえばなり”
  (ヘブル書十二・五、六)

 たたかうことを恐れずに邁進しよう。
 私たちはさまざまなたたかいをかかえている。対人関係、社会環境、自分自身、など戦いの種るいは多くある。とくに目をむけなければならないのはこの世の影の支配者であるサタンとの戦いである。

”終りにいわん、汝ら主にありて其の大能の勢いによりて強かれ。悪魔のてだて(術)にむかいて立ちえんために、神の武具をもて鎧うべし。我らは血肉と戦うにあらず、政治・権威、この世の暗きをつかさどるもの、天のところにある悪の霊と戦うなり”(エペソ書六・十〜十二)。

聖書は勝利の鍵を書き加えている。
”このゆえに神の武具をとれ、汝ら悪しき日にあいて仇に立ちむかい凡ての事を成就して立ちえんためなり”(エペソ書六・十三)。

 消防夫が火を消しに行って、黒煙におどろき煙にむかってだけホースをむけ水をかけたとしたら、おろかなことであろう。しっかりと火元(敵)を見つめなければならない。

◇ 更に大事なことは、み言葉のつるぎをさびさせないこと。絶えずみ言葉を黙想、あかしに使うことである。
自己流の解釈や、文意をこわす読み方をしないこと。み言葉を水まししたり、割り引いたりしないことが大切である。

”我らは真理に逆らいて能力なく、真理のためには能力あり”

◎ 暗誦聖句   黙示録十五章四節
”主よ、たれか汝をおそれざる、誰かみ名を尊ばざる、
 なんじのみ聖なり”

 


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