◆ 我 ら の 戦 い
習志野バプテスト教会週報
「人類の歴史は『信仰と不信仰とのたたかいの歴史である』」とある作家は書いている。 人それぞれにたたかいがあり、誰も他人にかわってすべてを処理することは出来ない。 子供のかかえる人生の課題を母親がかわってたたかうと、いわゆるマザ・コン(母親依存)となる。 神様は、私たちが自分の力でたたかう必要のある時に、肩がわりをしてくださるわけではない。 ”わが子よ、主のこらしめを軽んずるなかれ、主にいましめらるる時、倦(う)むなかれ。そは主、その愛する者をこらしめ、凡てその受けたもう子を鞭(むち)うちたまえばなり”
たたかうことを恐れずに邁進しよう。
”終りにいわん、汝ら主にありて其の大能の勢いによりて強かれ。悪魔のてだて(術)にむかいて立ちえんために、神の武具をもて鎧うべし。我らは血肉と戦うにあらず、政治・権威、この世の暗きをつかさどるもの、天のところにある悪の霊と戦うなり”(エペソ書六・十〜十二)。 聖書は勝利の鍵を書き加えている。
消防夫が火を消しに行って、黒煙におどろき煙にむかってだけホースをむけ水をかけたとしたら、おろかなことであろう。しっかりと火元(敵)を見つめなければならない。 ◇ 更に大事なことは、み言葉のつるぎをさびさせないこと。絶えずみ言葉を黙想、あかしに使うことである。
”我らは真理に逆らいて能力なく、真理のためには能力あり” ◎ 暗誦聖句 黙示録十五章四節
|