◆ 本当のたから
習志野バプテスト教会週報
”つつしみて凡てのむさぼりをふせげ、人の生命はもちものの豊かなるにはよらぬなり。”
十二章十三節から二十一節に、イエスさまは人間にとって何が大事かということを教えておられる。 へブルの法律によると、長男は他の弟たちの二倍相続をした。もちろんそれは母や未婚の妹たちの世話をするためである。 「むさぼり」とは、自分が今持っているものを保つということよりも、持つこと自体の追求であり、この世の富を持ちさえすれば幸いであるという迷信に根ざしている。 人間の生命は金銭によっては保証されない。現代医学は必要かどうかを疑うほどにまで延命医療が進んできた。それにもかかわらず、不死を買うことは不可能である。 富める農夫は言う、わが霊魂よ、と。生命は永遠に続くものとして高められることも出来るのだが、人は神様にではなく、物に関係づけてしまった。農夫は人の霊魂に必要なものが何であるかを見きわめられなかった。 ”人の生くるはパンのみによるにあらず、神の口よりいづる凡ての言による(マタイ四・四)”穀物を倉におさめて得意の絶頂にある農夫は、”おろかなる者よ”と言われる。 ”天よきけ地よ耳をかたぶけよ、エホバの語りたもう言あり、曰く、われ子をやしない育てしにかれらは我にそむけり(イザヤ一・二)” 神さまは私たちの霊魂の所有者として私たち一人一人に語っておられる。ところが人間は神様の招きの声に耳を傾けようとしないのだ。? ”性来(うまれつき)のままなる人は神のみ霊のことを受けず、彼には愚かなるものと見ゆればなり (コリント前書二・十四)” ジョン・ロックフェラーという億万長者はこう言っている、「私は何百万ドルもかせいだが、お金は私に幸福をもたらさなかった」。 アンドルー・カーネギーは言う、「億万長者はほとんど笑うことがない」。笑うことの出来ない人生とはずいぶん暗い人生ではないか。 ”少しのものをもちてエホバをおそるるは、多くの宝を持ちてわづらいあるにまさる(箴言十五・十六)” 神さまは、なくてならないものをもって養ってくださる。むしろ、日日神さまのみ心を求めて歩く生活の方が楽しく平安にみちた人生とはいえないだろうか。
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