◆ きたれ、かえれ
習志野バプテスト教会週報
”ああ汝ら渇ける者ことごとく水にきたれ 金なき者もきたるべし 汝らきたりて買い求めてくらえ きたれ金なく価なくしてぶどうしゅと乳とを買え”
前章においてイスラエルの民に対する招きをなさった神は、この章では選民ではない民、すなわち全世界の民に対する大いなる招きをあたえてくださる。 ぶどうしゅと乳とは、力とよろこび、栄養をあたえることである。 金のない者もきなさい、買い求めて食べなさい、とはどういうことだろうか、それはお金を出して品物を買う人は、自分の所有権を主張出来る。それと同じように、神様のくださる豊かな祝福は誰もあなたからうばいとることは出来ないというのである。 ”あざむきとりし糧は人にうまし、されど後にはその口に砂をみたされん
神さまのくださるものと悪魔のさし出すものとのちがいがよくわかる。
霊的な祝福を受けるためには、
”すべて主のみ名をよび求むる者はすくわるべし (ロマ書十・十三)” 神様のあわれみにすべてを投げかけ、よりたのむことが必要である。
神様の語りかけをいつまでもこばんでいるとやがてさばきの時がくる。その時になってから悔やんでもとりかえしがつかない(ルカ十六・二六、二七) ”エホバにかえれ”七節 かえるということは、そこに以前いたことをあらわす、たとえあなたはそのことを知らず、あるいは否定しても、神様は創造主としてお命じになっていらっしゃる。 人は母親のふところにかえる以上に霊魂の父にかえる必要がある。
◎ 暗誦聖句 黙示録十七章十四節
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