◆ アンバランス

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年二月二一日号 
        ▽光の子供のごとく
 
”われ彼らが神のために熱心なることをあかしす、されどその熱心は知識によらざるなり。それは神の義を知らず、己の義を立てんとして、神の義に従わざればなり。”            ロマ書十章二、三節

「優秀な知能と不信仰な心の結合ほど不幸なことはない」とある伝道者は言った。現代はまさにその典型であろう。

 使徒パウロはテモテとテトスへの手紙でくりかえし健全という言葉を使った。

 「サウンド・マインド・イン・ア・サウンド・バディ(健全な精神は健全な肉体にやどる)」というが、私たちをとりまく社会は不健全なものが多すぎるように見える。

 ピカソの絵のように調和がとれていないように見える絵が好まれるのと現代人の精神生活とをくらべると共通するところがあるのかもしれない。美術のことはいざしらず、こと生活面においては調和がほしい。心と身体の発育がそろっていないと、大変不安定な状態になる。思春期の男女が情緒的に不安定なことには原因があるわけだ。

 話がとんで申し訳ないが、死海には魚がすまない。通常の海水の六倍はあるといわれる塩分。ヨルダン河の水を受けるだけで他へ流さないからだと、教えられる。神様の恵みを受けるだけで、捧げたり、よろこびをわかち合ったりしないと、死海のようになりますよ、といわれるのだ。誰でも食べることと排せつのバランスがくずれたら気分が悪くなる。

 人間のからだは非常にすばらしいバランスをもってつくられているという。血液の成分のバランスといい、からだの各成分のバランスといい、申し分がない。手が脚のように長ければ手長ザルと同様だ。

 信仰生活においてもバランスこそ大きな要因である。聖書を読むだけで実践がなければ、パリサイ人と同じように他人を批判するばかりで、よろこびのないクリスチャンになってしまうだろう。奉仕は大切であるが、マルタと同じようにいつも動きまわるばかりで、静まることがなければ、やがて他の

 人の奉仕を自分の奉仕と比べて文句を言うようになろう。

 飛行機の翼、胴、その他全体のバランスは不可欠である。使徒パウロはエペソ人への手紙の中でそのことを教えている。すべての人が牧師ではない。それぞれに神様から働きを託されているのだが、一人が力をぬいてしまうなら、バランスがくずれる。やがて他の人も疲れてたおれるだろう。夫婦の信仰生活においても同じことが言えるであろう。健全なクリスチャン・ホームを築きあげよう。
 

 ◎ 暗誦聖句  イザヤ書六五章二四節
  ”かれらが呼ばざるさきにわれこたえ、
   彼らが語りおえざるに我きかん”
  


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