◆ 試練にそなえる

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年三月一四日号 
        ▽健全な言葉、健全な信仰
 

”ほむべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神その大いなるあわれみにしたがい、イエス・キリストの死人の中よりよみがえり給えることにより、我らをあらたに生まれしめて生ける望みをいだかせ、汝らのために天にたくわえある朽ちず、汚れず、しぼまざる嗣業をつがしめ給えり。汝らは終りの時にあらわれんとてそなわりたる救いをえんために、信仰によりて神の力にまもらるるなり。このゆえに汝ら今しばしの程さまざまの試練によりてうれえざるをえずとも、なお大いによろこべり。”
             ペテロ前書一章三〜六節

 かつてはガリラヤの湖で毎日漁をしていたシモンが、主イエス・キリストに見出されて霊魂の救いを受けてから全く人生が変えられた。

 キリストを信じて自分に死ぬということは一見むじゅんするようにみえるが、新しい生命をいただくということを意味する。自分中心の生き方をしていた私たちが神さまのお言葉をすべての考え方の基礎として、たとえそれが周囲の人に調子を合わせることが出来ないとしてもなお貫き通す生き方を新生の一歩と考える。

 世界の人口が六十億というふくれ方の中で、何もおこらないと考えるのは楽天的すぎるであろう。食べ物を得ることの出来ない人々は次々と消えてゆき、不安と恐れの中で戦争が起きやすくなる。各地で災害がおこるが手のうちようがないほど地球は変化をする。未来学者はそんな近未来図を描いて見せるが、完全な救済策はもっていない。

 使徒ペテロは迫りくる大試練の時に備えるようにとクリスチャン一人一人をはげました。もちろん彼の時代の大変化は今日のとはちがって、ローマ帝国のネロによるクリスチャンの迫害であった。かつて名もなき漁師であったペテロは、信仰の教理と実践をみごとに合致させて信者の日々の必要のためになぐさめとはげましの言葉を書き記している。

 人はキリストの福音によって救われると新しい生活をふみだす。人生の真の目的、希望、力を見出した人は新しい行動の基準をもつ。神をもたない冷たい社会に対して神のあわれみと忍耐を身を以てあらわすように求められているのがこの一章におけるメッセージである。

 あたらしい行動はこの世に対してあらわされる。次に家族に対してもあきらかにされる。(一番むずかしいあかしの場ではあるが・・・)。これが二章のポイント。

 信仰生活はたたかいの連続である。不正、苦難などにどう対処したらよいのかが三章に述べられている。
 

  ◎ 暗誦聖句  「之に乗り給う者は『忠実また真』と称えられ、
  義をもて裁き、かつ戦い給う。」(黙示録十九章十一節B)


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