◆ 聖書を読もう 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年三月二一日号 
        ▽み言葉の学びと実践 
 

 かつて米国の最大教会といわれたテンプル・バプテスト教会の日曜学校教師会に出席したときのことである。ミスター・サンディ・スクールといわれるほどSS教育の力を注いでいたビーチャム・ヴィック師が、水曜日の聖研のまえに一時間二百数十名のSS教師を相手に講義をしておられた。

 多くの教会が市販のSSテキストを使っていたのにヴィック師は絶対使わない方針であった。日曜学校で聖書をテキストに使わないで何の日曜学校かというのである。

 一般の信徒が聖書を読んでそのままレッスンが出来るわけではない。そこでヴィック博士が毎週水曜日にレッスンのポイントを教えておられたわけである。五週間の滞在期間中、サムエル記の一章ずつの学びの中に必ず主イエス・キリストの身代わりの死、罪、救いなどがもりこまれているのにびっくりした。こじつけのレッスンならともかく、日頃私たちが見おとしがちな記述の中にキリストのお姿をほうふつさせるのには舌をまいた。

 若い人がマンガやテレビに夢中になっている時代、私たちはどのようにしたらこの人たちや子供たちの心をキリストにむけさせることが出来るだろうか。

 旧約聖書を単なる過去の出来ごと、外国の物語としてではなく、自分たちの今日の生活に起こりうる問題として考えることが必要であろう。そのためには教師の側の十分な準備がなければならない。物語の展開だけに終始してはならない。

 人間の持つ共通的な弱さ、悪との戦い、勝利のための鍵は何か、現代に対する神さまのメッセージはどうなのか、私の生活にいま、どんなかかわりがあるのか等毎日考えて生徒の前に立たなければならないと思う。

 聖書を読む人はクリスチャン人口の数十倍あるいは数百倍はあるであろう。最新の資料によると九八年十二月末現在で二千二百十二の言語に訳され、全世界の言語の三分の一にあたるそうである。このことは世界人口の大多数が聖書全巻又はその一部を利用できることになったとのこと。問題は聖書の中心=キリストを求め、心の王座にお迎えするか否かであるのだが。

☆サムエル記について・・・この書の目的は、イスラエル王国の成立と、それに対するサムエルの役割についての物語である。サムエルは士師でもあり、預言者でもあった。それゆえ、彼は士師記の時代と初期の王朝とを結びつける役をしている。士師の時代に混乱があったのでイスラエルの人々は中央政府の必要を感じるようになった。よい王とは、独裁者でなく、神のみ心を求める人で、忠実、公正な統治により、来るべき大いなる王を予示する者でなければならない。義をもって納める王への教訓がある。
 
 

 ◎ 暗誦聖句  黙示録十九章十三節
 ”彼は血に染みたる衣を纏(まと)へり、
  その名は「神の言(ことば)」ととなふ。”
 


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