◆ ヤコブの生涯(一)
習志野バプテスト教会週報
”押しのける者”という名前のヤコブ、後に「神の王子」イスラエルとよばれるようになった人物の物語は、現代の人間像を象徴するかの印象をあたえる。 創世記二五章からはじまるヤコブの伝記は私たちに親しみをおぼえさせる。 エサウは父親のイサクにかわいがられ、弟のヤコブは母親リベカに愛された。ヤコブは家庭内のトラブルと、自らの結婚生活におこるトラブルで苦しい人生を歩まなければならなかった。それにもかかわらず、弟は兄にまさって主に愛されイスラエル一二部族の父祖とされたのである(ロマ書九・一〇〜一三参照)。 ヤコブは肉の欲望、もちものの誇りをもった人間であったが、神とのまじわりを通して徐々にかえられていった。彼の生涯をみてみよう。 策略家であった。 創二五・三一?三三 だます人。 二七・一八?二九 罪の結果をかりとった。 二七・四二、四三 信仰にあつくなった。 二八・一〇 愛情のこい人となった。 二九・一八 生産的。 三一・四〇 祈りぶかい者となる。 三二・九?三〇 患難を通して神よりの訓練をうく。三七・二八、
信仰の人となる。 ヘブル一一・二一 創世記二五章二一節からイサクとリベカの祈を学ぶ。子供のない夫婦の例は旧約聖書に何度も出るが、それぞれに神を求め、祈りの応答をいただいていることをみると、家庭が祈りの場でなければならないと考えさせられ
子供の教育については世間に多くいわれているが、夫婦(父母)のあり方についてはふれられないようだ。ヤコブとエサウの人格形成は家庭における愛情のバランスのくずれが大きく働いたようである。 エサウは身体中を毛でおおわれていた。赤い煮豆を求めたことからも、エドム(赤)人の祖となった。彼は長子の特権を一杯の食べものと交換するほど、現在の必要のとりこになっていた。 今の必要のために永遠を犠牲にしてはならない。
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