◆ ヤコブの生涯(三) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年四月一八日号 
        ▽ベテルはどこに?
 

 創世記二七章三〇節以下二八章につづく兄エサウの怒りは無理からぬことと思う。

 イスラエル一二部族の父祖となったヤコブがこんな罪をおかして父イサクの祝福を受け、兄をうらぎったなどとは信じがたい気がするではないか。

 イサクはヤコブとリベカにだまされたことを知ったとき、神さまのご計画はかえられないとわかったらしい。長子の特権を一杯の煮豆で売ってしまったエサウだが、父の祝福までも弟にうばいとられることはゆるせなかった。やがて父は亡くなるだろうが、その時にこそこれまでのうらみをはらしてやろう、とエサウは心にきめた。

 ヤコブに対する祝福は、とりもなおさずエサウの子孫に対する苦しみの預言でもあった。四〇節の預言は列王下八章二〇節まで続くのである。

 エサウはヤコブとちがって性格が粗野だったのであろう。そして異性に心をうばわれることも多かった。カナンの女二人をめとったばかりでなく、両親に気に入られていないとわかると三人目の妻をイシマエルの娘の中からえらんだ。

 エサウの二人の妻はイサクとリベカにうれいをあたえたが、リベカはこのことをたくみに利用してヤコブを遠くへ逃がす手だてを考えた。年老いたとはいえ、ヤコブの結婚相手をえらぶとなると、イサクもじっとしていられなかった。せめてヤコブには部族の純血を保ってほしいと願わずにはおれなかった。こんどは自分からすすんでヤコブに祝福を祈るイサクであった。

 ベエルシバからハランへは約七百キロ、東京と岡山ほどの距離だから、そう簡単には往復出来ない道のりだ。

 ヤコブは何かにつけて母親にたよる人間だったが、いま、たった一人で長い旅をしなければならなかった。いつ兄が自分を殺しに追ってくるかわからない恐怖が彼をかり立てた。不安と恐れ、孤独と罪の責めは彼に安らかな眠りをあたえなかった。とうとう疲れきってルズでひとやすみをした。石をとり枕とした。その夜彼は大変な経験をした。一二節からはじまるその夜の経験は彼の自己本位の生き方に警鐘をあたえる神の恵みであった。

"エホバその上に立ちて言いたまわく、我は汝の祖父アブラハムの神イサクの神エホバなり。汝がふすところの地は我之を汝と汝の子孫にあたえん。汝の子孫は地の砂の如くなりて西東北南にひろがるべし。又天下の諸々の族、汝と汝の子孫によりてさいわいをえん。また我汝とともにありて、凡て汝が往くところにて汝をまもり……汝をはなれざるなり"

 ヤコブは神の前にはじめて畏敬の念をもった。彼の霊魂ははげしく信仰の高なりをおぼえるのだった。
 
 

◎ 暗誦聖句   黙示録二一章五節「」内
「みよ、われすべてのものをあらたにするなり」
 
 
 


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