◆ ヤコブの生涯(四)
習志野バプテスト教会週報
ヤコブのおかした罪は決してかるくはなかった。彼が家をはなれて長い旅に出てからも彼を休息させることはなかった。 "これエホバにむかいて罪を犯すなれば必ずその罪汝らの身におよぶと知るべし"(民数記三二章二三節) ヤコブはベテルにおいて信仰の飛躍をえたと見えそうだが、まだまだ高嶺にはいたっていないようである。神さまは彼を祝福なさる前にきよめる必要をおぼえられたかにみえる。 "されど罪の増すところには恵みもいや増せり。"
"エホバはわれらの罪のかさにしたがいてわれらをあしらいたまわず、われらの不義のかさに従いてむくいたまわざりき"
ヤコブはベテルで三つの約束をした。その第一は、他のどのような神々をも拝むことをしないで、ひたすら先祖アブラハムの信じた神を自分の信仰の対象のお方として崇めまつるということ。もう一つの大事なことは、ここではじめて十分の一のささげもののことがでてくる。先祖アブラハムは既にメルキゼデグに十分の一をささげていたのだからイサクもそれにならった信仰のあらわしを守ったであろうが、ヤコブはここで真実のささげものをすべきことを自覚したようである。 ベテルからのヤコブの足どりは軽かった。兄の憤怒を思い出すと恐怖にかられたのだが、もはや四六時中彼を悩ます問題ではなくなった。全能の神がともにいてくださるという思いが彼の足を軽くした。 ハランの近くにきたヤコブは野にある井戸のそばに羊の群を見た。父イサクのもとにいた時に見なれたあの羊である。羊はひとり歩きをしないで群でうごく。羊飼いに聞けば、あるいは伯父ラバンの住むあたりを教えてくれるかもしれない、とはやる思いで羊飼いたちのそばに行った。ハランには数多くの人がいた。まさか一度で捜している人物にあえるとは思いもよらなかったヤコブは、すでに神さまのみ手がはたらいていることを感ぜずにはおれなかった。長い旅であった。つらい一人旅であった。母からよくきかされていた母の実家はすぐ近くだ。しかも彼が見たラケルは大変美しかった。
◎ 暗誦聖句 マルコ伝十六章十五節
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