◆ ヤコブの生涯(八)
習志野バプテスト教会週報
”レアはらみて子を生み、その名をルベンと名づけて言いけるは、エホバまことにわがなやみをかえりみたまえり。されば今夫我を愛せんと。彼女ふたたびはらみて子を生みエホバわが嫌わるるを聞きたまいしによりて我にこれをも給えりと言いてその名をシメオンと名づけたり…?” 姉のレアと妹のラケルとのあいだにヤコブをめぐるあらそいは続く。レアは四人の息子を生んだがラケルは一人も生んではいなかった。ラケルはヤコブを責めて言った。「わたしに子供をくださらないのなら、死んだほうがましです!」と。ヤコブはここで神さまのことをもちだして言った。「あなたが子をやどせないのは神さまによることで、私の力ではどうにもならないのだ。」 人は昔も今も変っていない。何か都合が悪くなるとすぐ神さまのせいにしてしまう。多くの人間は不信心と言いつつもその実は、人間の生命というものは人間の手で生み出すものではなく、神の領域だということを認めているのかもしれない。どんなに英国で試験管ベイビーが多く育とうとも無からつくり出した生命ではないのだ。 ラケルは自分のつかえめビルハを説得して、ヤコブの子供を生ませる。仮りばらはこれより前にもあったことだが、この姉妹の時はすさまじいたたかいであった。レアもラケルに負けじと自分に仕えている若い女性のジルパを寝床にはべらせてヤコブの子を生ませたのである。 ヤコブはレアを通じて、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ディナ(女)をもうけた。ビルハはダン、ナフタリをジルパはガド、アセルを生んだ。ヤコブの最愛の女性ラケルはついに神さまから子供を授かった。ヨセフとベニヤミンの二人である。 一つの天幕に四人の美しい女性が出入りをし、お互いに他をけんせいし合った。子をもつ女性は強くなり、他をかろんじる。信仰に生きたレアも子供たちを教育する心のゆとりがなかったようである。ヤコブもまた子供たちを正しく教え導く時間がなかったのであろう。本来、教育は父母のもとで始められるものだか、ヤコブの家庭は子供の数は多かったが愛には欠けたものだった。母たちの争いは、やがて兄弟同志のいがみ合いとなり、殺人計画へと発展してゆくのである。 ”あいあらそう女は雨ふる日に絶えずある雨もりのごとし”(箴言二七章一五節) ラバンはヤコブの家庭争議をたくみに利用、ヤコブの給料を一〇回も変更して苦痛を与えた。一度争い出すと血のつながりは、しつようになる。自戒しよう。 □ ◎暗誦聖句 黙示録 二二章十七節後半
|