◆ ヤコブの生涯(一〇) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年六月二七日号 
        ▽ 信仰と愛によるまじわり

”夕には汝ら「空赤きゆえに、晴ならん」と言い、また朝には「空赤くして曇るゆえに、今日は風雨ならん」と言う。なんじら空の気色(けしき)を見分くることを知りて、時のしるしを見分くることあたわぬか。よこしまにして不義なる代は徴(しるし)をもとむ、されどヨナのしるしのほかにしるしは与えられじ」”
     マタイ伝一六章二〜四節

 コンピューターを駆使してもなお、天気予報の的中率は満足な結果を得ていない。しろうと目には簡単と思える予報がはずれるとき、「どうしてあたらないのかなあ?」といぶかる。他人のやっていることに対して私たちがもつ批判的な疑問である。

 ところがいざ自分の問題となるとどうであろう?

 どの学校を選ぶべきか、どの洋服を着てどのネクタイをしめていこうか。今日はどんな色のスカートをはこうかしら、などと毎朝悩むのはどこの誰だろう。旅先の宿舎で部屋係の人に何時チップを渡したらいいだろうと悩むこともある。あまり見えすいた渡し方もこちらの下心がわかるようで恥ずかしい。

”我はベテルの神なり。汝かしこにて柱に油を注ぎ彼処にて我に誓いを立てたり。今たちてこの地をいでて汝の親族にかえれ”
   (創世記三一章一三節)

”今たちて”という今が大事な時である。”朝早く起きて大声にその隣を祝すれば、かえって呪いとみなされん”(箴言二七章一四節)とあるから、時をまちがえるとせっかくの善いことも悪となってしまうことがある。世間に言うTPOはまさに聖書の警告である。

 ラバンとヤコブは喜びにみちたスタートをもった。

 ハネムーン(結婚当初)のような暖かく、思いやりと愛情にみちた日々は遠い昔のこととなってしまった。人は何かを始める時よりも終わる時の方がいろいろとむずかしい問題をかかえる。ベッドソウルという牧師学の著者はこう書いている。「牧師がやめたいと思う時はやめてはいけない。後任の牧師にとっても解決がむずかしいわけだから…」

 使徒パウロは「愛のほか何も人に負うな」と教えているが、人間関係でむずかしいのがお金である。シェィクスピアは「友人にお金を貸すな」と言っているが至言である。ラバンがヤコブをいびり出したのもこのお金がからんでのことである。十度も賃金を変更した、とヤコブはうらんでいる。(創世記三一章四一節)

 ヒゼキヤ王はバビロンの使者に神殿の宝物を全部見せた。やがて敵となってしまうのも知らずに。円満なつき合いを長続きさせるのは何だろうか。考えよう。  ( 続 く )

◎暗誦聖句   
”御前にて潔く瑕なからしめん為に、世の創の前より我等をキリストの中に選び、(エペソ書一章四節)”

 


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