◆ ヤコブの生涯(13)
習志野バプテスト教会週報
三二節には大変重要なテーマがいくつか記されている。 一、まいたものを刈りとる。 エサウと父をあざむいて祝福をうばいとったヤコブはこの時になって、どうしても過去のおそろしい罪と対面しなければならなかった。今からラバンのもとに帰ることは出来ないし、先へ進めば兄とその部下四百人が彼を待ち受けている。 かつて兄エサウは言った。 「父の喪の日近ければ、その時我弟ヤコブを殺さん」(創二七・四一)。ヤコブは、神さまが兄の心をかえてくださったとは思ってもいなかった。罪のもたらす産物は不安と苦しみ、自責の念である。 ”そのとがをゆるされその罪をおおわれしものは幸いなり。不義をエホバに負わせられざるもの、心にいつわりなき者はさいわいなり。我いいあらわさざりし時はひねもす悲しみさけびたるがゆえに、わが骨ふるびおとろえたり。”(詩三二・一、二、三) 二、私たちはこまったことがおきると神さまに祈る。 毎日毎日自分の窮状をうったえて祈るのだが、ヤコブは祈りの正しい方法を知っていたようである。彼は自分の生活や善行、他人の行状の是非を言っていない。神さまが彼におあたえになった祝福の約束を思いかえして、神さまに大胆に近づき祈り求めているのだ。ここに祈の秘訣がある。
私たちは神様の祝福を十分味わっているだろうか
◎暗誦聖句 エペソ書二章八節
|