◆ ヤコブの生涯(17) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年九月一二日号 
        ▽すべての事には時がある 
 
 
 人間の一生は平坦ではない。

 人それぞれに波多く風はげしい旅路があるものだ。小説家は自分の経験をテーマにしたり、あるいはテーマのもとに体験を積んでゆく、という説をきいた。だが、ヤコブの歩みは小説よりも変化に富む。

 創世記三七章(前一七二九年)から四八章(前一六八九年)の四〇年間
にヤコブは死ぬほどの苦しみにあった。すでに百才をこえる高齢のヤコブをおそった悲しみは、こともあろうに自分が昔、父イサクをあざむいたのと同じにわが子たちにだまされるということであった。ヤコブの最愛の妻ラケルはすでに世になく、その忘れがたみのヨセフとベニヤミンが残るだけであった。いつも遠くを見つめたり、黙想にふけっている気だてのやさしいヨセフはヤコブの慰めであり、生きがいとなった。

 一二人の子供たちの大半は性質があらく、野人むき出しであったから、ヨセフのやさしさは、自分の少年時代に母親のそばですごした月日を思いおこさせたことであろう。ヤコブはヨセフのために特別ないろどりの衣服をつくって着せていたから、ほかの兄たちはヨセフを心憎く思うほどになり、ついにはヨセフを殺すことまで計画した。結局エジプトに向かう隊商に売りとばしてしまったのだが、ヨセフの着衣に山羊の血をぬってヨセフは猛獣に食い殺されたとヤコブに思いこませたのである。

 最愛の者を失った時、あなたはどこに慰めを見出すであろう。この地上にある者に生きがいを求めようとするなら、結局いつかは離別の苦しみをむかえるであろう。永遠にかわることのない主キリストを人生の目あてとし生きがいとするなら、私たちはどんな苦痛にも耐えることが出来るはずである。私たちは皆いつかは最愛の者を失う時がくる。又は、人生の危機に直面する。そんな時にどのように立ち上るかがその人の真価を、その人の信仰の意義を表すであろう。残念ながら、ヤコブはそれ以後にめだつ働きをしていない。

 ヤコブが神様ではなくヨセフに愛のすべてを注いだ時神様は不思議な方法で一時的にヨセフをヤコブからひきはなし、エジプトで訓練を与えておられた。神様は無意味にあなたの最善のもの、最愛のものをおとり上げにはならない。あなたが自分の最愛のものをささげるなら、時がくれば必ず大きな祝福としておかえしくださるはずである。
我もし死ぬべくば死ぬべし=iエステル四・一六)と言ったエステルのように全きあけわたしをしていこう。
己が生命を愛する者はこれを失い、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠の生命に至るべし
          (ヤコブの生涯シリーズ終わり)

 
◎暗誦聖句  エペソ書四章十六節前半
彼を本とし、全身は凡ての節々の助けにて整い…
 
 


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