◆ ペテロの生涯(1) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年九月一九日号 
        ▽敗北から勝利へ

”ヨハネより聞きてイエスに従いし二人のうち一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレなり。この人まずその兄弟シモンに遇い「われらメシヤ(釈けばキリスト)に遇えり」と言いて、彼をイエスのもとに連れきたれり。イエス之に目をとめて言い給う「なんじはヨハネの子シモンなり、汝ケパ(釈けばペテロ)ととなえらるべし」”
       ヨハネ伝一章四〇?四二節

”(イエス)語りおえてシモンに言い給う「深みに乗りいだし、網をおろしてすなどれ」。シモン答えて言う「君よ、われら終夜、労したるに何をも得ざりき、されどみ言葉にしたがいて網をおろさん」かくて然せしに魚のおびただしき群をかこみて網さけかかりたれば、ほかの一艘の舟におる組の者をさし招きて来り助けしむ。…… シモン・ペテロ之を見て、イエスのひざもとにひれ伏して言う「主よ、我を去りたまえ。我は罪ある者なり」。…… イエス、シモンに言い給う「おそるな、なんじ今より後、人をすなどらん」。彼ら舟を陸につけ、一切をすててイエスに従えり。”
        ルカ伝五章四?一一節

 私たちは数か月にわたって旧約聖書に書かれている人間臭さのつよいヤコブの生涯を考えてきた。父をあざむき、兄をあざむいたヤコブは、やがて伯父にだまされ、自分の子供たちにだまされた。ヤコブの生涯で大きな出来ごとは、ベテルにおける神様との邂逅(かいこう)であった。ヤコブという生来の名前はイスラエル(=神争いたもう)という名前にかえられた。長い年月の中にヤコブは一つ一つの弱さをかえられ、イスラエル一二部族の父祖としての名誉と地位をあたえられたのである。

 新約聖書中にヤコブと類似の人物をさがすとするならば、ペテロほど多くの共通点を持つ人はいないだろう。ペテロは無学の漁師であった。(今日の漁師が無学だというのではない。)毎日あけてもくれてもゲネサレ(ガリラヤ)湖で魚をとり、町に出て売って生計をたてていたのだ。彼はメシヤにお会いした。そして新しい名前をキリストからいただいた。直情径行(一本気で思うままに行動すること)型の熱血漢だった。

 アンデレにさそわれてイエスさまにはじめてお会いしたペテロは頭で信じたのであろう。そのあと姑が熱を出して苦しんでいた時にいやしていただいた(マタイ八・一四)。いま彼は、夜どおし網をおろしてもとれなかったというのに「網をおろせ」といわれた主のお言葉にすなおに従った。「されどみ言葉に従いて網をおろさん」。無条件の服従こそ祝福への最短距離である。そして罪の自覚は救いと献身へ導く。私たちも変えていただこう。

                  ( 続 く )
 
 

◎ 暗誦聖句  エペソ書五章一七節 
”この故に愚かとならず、主の御意のいかんを悟れ。”
 
 
 
 
 


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