◆ ペテロの生涯(5) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年十月十七日号 
        ▽新会堂のために祈ろう
 
 

□ペテロの誤解
”汝は神のことを思わず、かえって人のことを思う”

 主イエスはペテロの人間的な思いをつよく指摘なさった。キリストに愛され、弟子たちの中でも特に目をかけられたペテロが、ほかの弟子たちのいる前でつよくしかられたのである。現代の教育者は何というだろうか。

 「しかるよりも多くほめなさい」

 ペテロの言葉は、軽くうけとめえないメシアについての発言であった。根本的な問題についての誤解であり、その時にすぐ過ちを正しておかなければならない性質のことであった。イエスさまはあちらこちらで人間性を無視?してきびしく罪を指摘なさった。伝道者ももっと強く大胆に信者を叱るべきなのかもしれない。現代の教育法や心理学は人間の罪の性質を理解しないようだ。

◇ペテロのおかしたまちがいは当時の大半のユダヤ人が考えたのと同じことであった。それは地上に王国を建てて君りんするメシア待望であった。

”それ人の子の来れるは、失せたる者をたずねて救わんためなり”          (ルカ一九・一〇)

”人たといわが言葉をききて守らずとも、我は之をさばかず。それわが来りしは世をさばかんためにあらず、世を救わんためなり”
    (ヨハネ一二・四七)

 シモンをはじめとしてユダヤ人は、自分たちを圧迫していばっているローマ兵たちをけちらしてくれるメシヤに期待をかけていたから、きらわれもののザアカイを救ったり、病人をいやしている主のお姿は何とも合点がいかなかったのである。悪鬼を追い出すほどのイエスさまがどうして祭司たちに追われて逃げなければならないのかという疑問を解くのは困難だった。

◇ペテロはキリストのメッセージを誤解した。
”時は満てり、神の国は近づけり、汝ら悔い改めて福音を信ぜよ”(マルコ一・一五)

 メシアのお言葉をユダヤ人のみを対象とするものだと弟子たちは受けとめていた。神の国は近づいたというのを力による革命と思いちがいをしたのであろう。

◇メシアに従う者の報い
本当に祝福される弟子とはどんな心を持つ人か。有能であることか、知恵のある人か、あるいは腕力のつよい人か。マタイ伝二〇章二〇?二八節を考えてみよう。

”異邦人の君のその民をつかさどり、大いなる者の民の上に権をとることは汝らの知るところなり。汝らの中にては然らず、汝らの中に大ならんと思う者は、汝らの役者となり、首たらんと思う者は汝らの僕となるべし。かくのごとく人の子の来れるは…”

(続く)

◎ 暗誦聖句 エペソ書 六章十三節A  
”このゆえに神の武具をとれ”
 


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