◆ ペテロの生涯(6) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年十月二四日号 
        ▽家族の救いを祈ろう
 

”ますます我らの主なる救い主イエス・キリストの恵みと主を知る知識とに進め。”
     ペテロ後書三章一八節

 主イエス・キリストに召されて弟子となった人間像は私たちそれぞれの人間性を代表しているようで興味ぶかい。

 イエスさまと三年間起居をともにした弟子たちであったが、その中の一人は主イエスをうらぎった。私たちは普通の家庭で育った兄弟姉妹の間でもいろいろな性格のちがいがあらわれることを知っている。同じ両親から生まれ、同じ環境に育ちながら、どうして性格が多様なのだろうかと思うが、遺伝ということをぬきにして、やはりどれだけ一人一人が親と周囲の人からの教えを吸収したかにかかっているのではないだろうか。

 かなり以前から礼拝時間に、小学校上級生にはノートをとるように奨励している。一人一人の子供のノートを見せてもらうのが楽しみである。礼拝中にマンガを読みあさるよりもずっとよいと思う。三か月たってみると、子供たち一人一人に大きな成長がみられる。はじめは嫌でたまらなかった児童も多少いたようだが、あきらめずにノートとりにはげんでいる子供がふえてきた。

 一回の礼拝メッセージで一つでもよいからポイントをつかんでもらいたいという牧師の願いを知ってか、ずいぶんはっきりと自己表現をするようになった。はじめのうちはわからないことがあると白紙で出す子もいた。これは説教者にとっても良い訓練と学びである。中学生や高校生になると立派にメッセージをとらえていることがわかってうれしい。

 ムーディという伝道者はこう言ったと伝えられている、「子供にわかるように話せば大人もわかる」。

 イエスさまは聞く人に応じて語られたと記されている。私たちは真の”み言葉”に耳を傾けているだろうか。

 シモン・ペテロは主イエスの力におどろいた(マタイ八・二三〜二七)。嵐をしずめ給うキリストのお言葉にペテロは超自然的なご人格を見た。恵まれる秘訣だ。

 病人や飼う者のいない羊の群れのような人類に対する主イエスの憐れみの深さ、愛にシモンは感激をした(マタイ五・二一〜二四、三五〜四三)。疲れをいやす力だ。弟子たちは誰がえらいのか言いあらそっていたが、そんな弟子たちにもキリストは忍耐をもって接せられた(マタイ二〇・二〇〜二八、ロマ一五・五)。

 シモンは主イエスの権威あるお言葉のひびきと内容に圧倒された。他の人々も同様だった(ルカ四・一六〜二二)私たちはもっとキリストに驚く必要があるのでは?
            ( 続く )

◎ 暗誦聖句   エペソ書六章十七節  
”また救の兜及び御霊の剣すなわち神の言を執れ”
 


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。