◆ ペテロの生涯(7)
習志野バプテスト教会週報
日本では父親の権威が地におちたと言われてから久しい。昔はこわいものといえば地震、かみなり、火事、おやじといわれたものだが、父親をこわいと思う子供はそんなに多くない時代である。 お父さんと接する時間が一週間で一時間にもみたないのが平均的サラリーマンの家庭だというから、父親は訓練とか指導の大半を母親にまかせきりとなっている。父という文字の出来かたを見るならばわかるように昔は男親がオノを手にして子供に狩りょうや力仕事を教えたとされている。生存にかかわることだから当然父親はきびしく子供を訓練する。そうした関係に権威が生じたのであろう。 シモンをはじめとして弟子たちは主イエス・キリストの教えを細大もらさず胸におさめようとしたのだが、それ以前に接していた祭司や律法学者の言葉には見られない力強さを感じていた。 イエスさまが病人をいやし、悪霊を追い出し、パリサイ人たちのあげあしとりを徹底的に打破なさったりするのを目の当たりにして、弟子たちは神からの権威を認めないわけにはいかなかった。それはキリストに対する愛と畏敬の念に加え、反抗する時の恐ろしい裁きを予期させた。 私たちが聖書の教えに従おうとするのは似たようなものである。自分自身がキリストのお言葉にふれ、かえられ、祝福された経験を持つならば、キリストの権威をよろこんで受け入れるようになる。神のお約束の中にとびこむ時に平安が与えられる。権威は神の承認であり、実行力がともなう。暴力ではない。 主イエスの復活昇天後、ペテロは大胆に福音を語ってイエスは神であることの証をした。ガマリエルの言葉を聞こう(使徒五・三五〜四一)。 ……もしそのくわだてその仕業、人より出でたらんには自からやぶれん。
シモンは誰よりもイエスさまを愛していると自負していたが、十字架の危機を察知することは出来なかった。むしろ、弱いと思われている女性マリヤの方が葬りの備えをする特権に恵まれた(マルコ一四・三〜九) かつてヨーロッパのある有名な画家がキリストの姿を描くようにたのまれた。彼は三度も描いたが失敗だと自覚して、絵筆をたとうと決意をした。二日目の夜のことだった。夢の中でキリストが彼を慰めてくださるお姿を見た。 「ああ、私自身が主イエスの慰めを必要としているのだ!」と彼は気がついた。主を仰ごう。(続く)
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