◆ ペテロの生涯(8) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年十一月七日号 
        ▽とりなしの祈り=忍耐
 

 小さな子供は好奇心のかたまりだ。

 お父さんが車の運転するのを見ると自分の車のハンドルをクルクルまわそうとする。お母さんがお化粧をしているのを見ると自分も鏡の前にすわって紅をつけたりパフで顔をたたいたりする。

 お母さんが台所で忙しく働いていると、
「お母さん、何か手伝うことない?」
とのぞきにくる。こんな小さな子供でも親を喜ばせたいのだ。本当に手伝える年令になると勉強が忙しいとか口実をつけて逃げてしまうのだが。

 あなたはイエスさまに救われたよろこびをどのようなかたちで表現していらっしゃるだろうか。からだを動かす仕事がすべてではない。主イエス・キリストのお役に立ちたいと思う愛がすべての奉仕の動機ではないだろうか。

 私たちが罪から救われたのは、キリストにおつかえし、他の人々に救い主をさし示し、神さまの栄光をあらわすためである。この世の人たちは、自分の家族を含めて、なかなかあなたを受け入れてくれないかもしれないが、エペソ書一章六節を読むと、すべてキリストを信じる者は父なる神に受け入れられていることを知る。

これそのいつくしみ給う者によりて我らに賜いたる恵みの栄光にほまれあらんためなり。

 シモン・ペテロは非常に積極的にキリストにおつかえした。そしてどんなことでも大胆におたずねした。信仰の成長は、真理を追い求め、理解を深かめたいという願いの強さに比例するといえよう。

いま生まれしみどりごの如く霊の真の乳をしたえ、之により育ちて救いに至らんためなり。=@   (ペテロ前書二・二)

…その中には悟りがたき所あり、無学のもの、心の定まらぬ者は、他の聖書のごとく之をも強(し)い釈きて自ら滅びを招くなり。
 (ペテロ後書三・一六)

 イエスさまはペテロの質問を一つ一つおとりあげになって他の弟子たちを真理理解へと導かれた。

 ペテロは何かの仕事をしてよろこばれたということよりも、彼の単純なキリスト信仰と、主イエスに対する積極的な語りかけ、および果敢な行動力がよろこばれたと思う。信仰は恥ずかしさを吹きとばす。ひたすら主との直接的まじわりを見つめている。全き愛はおそれをのぞく≠ゥら。

 シモンは失敗が多かった。だが死んだ人間は失敗さえも出来ないのだ。失敗を通じて学ぶ道もあるのだ。
                 ( 続 く )
  
 

◎ 暗誦聖句  コロサイ書一章十節後半    
凡てのよき業によりて果を結び、いよいよ神を知り
 


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