◆ ペテロの生涯(12) 

        習志野バプテスト教会週報 
        一九九九年十二月五日号 
        ▽ 神による平安 

 
* 神のみ心を求める * 

ペテロ前書二章二節 
いま生れし嬰児のごとく霊の真の乳をしたえ、これにより育ちて救いにいたらんためなり。 

ペテロ後書一章四節 
その栄光と徳とによりて我らに貴き大いなる約束をたまえり、これは汝らが世にある欲のほろびをのがれ、神の性質にあずかる者とならんためなり。 

ペテロ後書三章一六節 
…その中には悟りがたき所あり、無学のもの、心の定まらぬ者は、他の聖書のごとく之をも強い釈きて自ら滅亡を招くなり。 

 ペテロの信仰の歩みをたどって自らの生活をくらべてみると、とても彼を非難したり笑うことは出来ない。 

マルコ伝一四章七一節 
この時ペテロ盟い、かつ誓いて「われは汝らの言う、その人を知らず」と言い出づ。 

 主イエスに献身を誓った舌の根もかわかないうちに彼はキリストを知らないと誓ってしまった。私たちは自分の力を過信しやすい。そして肉の弱さに負けてしまう。私たちは聖書の理解においても同じことがあてはまる。 

 自分の肉の思い、自分の願うように聖書をとらえ、自分の考えや立場を弁護するために聖句を使おうとしてしまう。貴い約束の条件は何であろうか。神の性質にあずかることが必要だ。神の性質は人間の欲望とぶつかり、信者の心にかっとうとなる。聖書は自分勝手に解釈をしてはならないが、人間の肉の思いは自分に都合のよいように受けとめてゆこうとする。 

 神のみ心を知ることは不可能ではない。なぜならば、大原則は聖書に教えられているわけであるし、信仰の先輩たちや伝道者に導きを願うことも出来る。ひとりよがりな解釈や「自分の心に平安があるから」という感情に頼ってはならない。スポルジョンは若い伝道者たちへの訓話でとくにこのことを強く注意している。 

 ペテロは自分の失敗を通して人間に共通する弱点を学んだようだ。 

 ヤコブはそれに関連して大切な原理を記している。 
されど上よりの知恵は第一に潔よく、次に平和・寛容・温順、また憐憫と善き果とに満ち、人をかたより見ず、いつわりなきものなり 
ヤコブ書三章一七節 

 私たちが神様のみこころを求める時に、たとえ自分の意にそわないことであっても、神様に従い、それを受け入れます、という思いがなければよい判断はむずかしい。『うたがわしい時は、安全第一でゆけ』 
(続く) 

  
◎ 暗誦聖句  コロサイ書 一章二〇節A   
その十字架の血によりて平和をなし 
 


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。