◆ ペテロの生涯(13)
習志野バプテスト教会週報
汝の神エホバ汝の前より彼らをおいはらい給わん。
ペテロは神の大きな約束を教えたが、私たちは信仰の歩みの中でその約束の祝福をいただくことが出来ているだろうか。私たちは少し良いことが続くと、さも自分自身の信仰のたまものであるとか、努力のおかげであると考えがちである。申命記の聖句は非常につよくそのことを否定する。神様はたとえ私たち人間が一方的に契約をやぶることがあったとしても、アブラハム、イサク、ヤコブらに約束なさったために契約を守られるのだと書かれている。そして私たちは信仰によってアブラハムの子孫なのであるから、神様のお約束に全幅の信頼をおくことが出来るのである。 ペテロは主イエスをうらぎった。弟子とは区別されなければならなかった(マルコ一六章七節)ペテロが、主イエスのお言葉のとうりに回復させられたのは、なぜだろうという疑問に対する答えがここにある。 イザヤ書四三章四節
あなたが失望するとき、神様のお約束を読みかえすとよい。心に傷をうけ、あるいは疑いにさいなまれるとき、聖書にかえろう。 創世記八章一節
我すなわち我と汝ら及びすべて肉なる諸の生物の間のわが契約を記念わん…=@ (九章一五節) …ロトの住める町を滅したもう時にあたり、神アブラハムをおもいて、かくその滅亡の中よりロトを出したまえり。
神様のお約束の中にこそ、神のみこころがある。私たちは常にみ言葉の上に立つ必要があるのだ。それは孤独な戦いかもしれないし、いつ終るともわからない戦いかもしれない。しかし、神が共にいてくださる戦いなのだ。
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