≪今週のことば(週報から)≫
2012年 6月
6月 3日
◆愛の実践
6月10日
◆神様の愛と自己愛
6月17日
◆神様の愛と自己愛 (2)
6月24日
◆神様の愛と自己愛 (最終回)
2012年 1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月
1997.8.24〜2011.12.18まで
最新の週報
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◆ 愛の実践
習志野バプテスト教会週報
二〇一二年六月三日号
▽「目を上げて畑を見なさい。」
(ヨハネ四・三五)
しかし彼(ある律法の専門家)は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主 人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっ と費用がかかったら、私が帰りに払います。』 この 三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
ルカ伝一〇章二九〜三七節
私たちは聖書箇所に登場する「祭司」や「レビ人」のように行動してしまうことが多いと思う。「強盗に襲われた人」を助けないだけでなく、「そんな危険な所を一人で旅をするなんて愚かだ」のように非難さえしてしまいやすい。 ユダヤ人とサマリヤ人は親しい関係になかった。敵対関係にあった、といってよい。そのことを知れば、サマリヤ人の行動は驚きである。
このサマリヤ人は自分と自分の民族を憎み、軽蔑していたユダヤ人の悪意を心にとめていない。→「愛は寛容(相手の悪意にいらいらせず、赦そうとする心)」。
サマリヤ人は半殺しにされたユダヤ人を助けようとする→「愛は親切(人のやくにたとうとする)」。
サマリヤ人は災難にあったユダヤ人をかわいそうにおもった。→「愛は思いやり(礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず)」。
自分自身旅の途中であったのに、自分の予定を遅らせてまでも、経済的な犠牲を惜しむこともなく、半死のユダヤ人を助けようとした。「どうせ、助からないだろう。」という思いはなかった。→「愛は相手の最善を信じ、期待する(すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます)」。
Tコリント一三章四〜八節を暗誦し、実践しよう。
◎ 暗誦聖句 詩篇五二篇八節後半
我(われ)はいやとほながに神(かみ)のあはれみに依(より)ョ(たの)まん
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◆ 神様の愛と自己愛
習志野バプテスト教会週報
二〇一二年六月一〇日号
▽「神を愛すると言いながら
兄弟を憎んでいるなら、
その人は偽り者です。」
(Tヨハネ四・二〇)
「選択肢は2つだけです。神様を愛するか、自分を愛するか。」
Tコリント13章
神様の愛
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自己愛
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1、「寛容」(4節)とは、●自分を犠牲にしても、神様の方法と時を待つこと。●忍耐。●神様のお力によって待つこと。●怒りに対する長い導火線。●たとえ機会と力があっても仕返しをしない。●彼らに見合ったものではなく、神様からいただいたものを与える。
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1、自分の方法と時を譲らない。●いま、自分の願い通りにならなければ我慢ができない。●忍耐がない。●自分の計画が変更される時に怒る。●神様がお働きくださるのを待てない。●「この方法でしたい。今したい。」と怒鳴る。●「すぐに忘れることのないように、私が教えよう。」と乱暴にいう。
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2、「親切」(4節)とは、●自分を犠牲にしても、他の人の必要を満たすこと。●他の人のために熱心になれる心をもち、他の人の助けとなりたいとの心をもつ。●言葉と行動の両方で親切。●「すべきこと、当然のこと、報いを得ること」ではないことを行う。
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2、汚く、悪意に満ちた言葉と行動。●他の人のためではなく「自分」のために行動する。●他者への愛にはいつも条件がともなう。●「なぜ、そうしなければならないの。彼らは私にはそうしてくれなかった。」「他人のことになんか、かまっていられない。自分の必要を満たし、願いをかなえることで精一杯。」
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3、「妬まず」(4節)とは、●自分を犠牲にしても、他の人を励まし、あるいは他の人と一緒に泣くこと。●悪感情を増幅させず、爆発させず、また心に持ち続けない。●神様のご支配に満足する。●相手を見下したり、自己卑下のために自分と誰かを比較しない。
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3、妬ましく思う。●怒りで煮えくりかえる。●泣く人の前で笑い、笑う人の前で泣く。●他の人が持っているものをみて、欲しくなり、そのことで腹をたてる。●他の人と同じくなりたい。●他人の成功、繁栄を喜べない。他の人の価値を持ち物の比較で決める。●「不公平だ。私がそれを手にするはずだった。」
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4、「誇らず、たかぶらず」(4節)とは、●自分を犠牲にしても、へりくだる。●「拍手喝さいを得るために」は行進しない。●うぬぼれない。●自分ではなく、神様を見つめる。●自慢しない。●自分自身をふくらませたり、つりあげたりしない。
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4、うぬぼれる。●自分のことに関する「おしゃべり」●自画自賛する。●他の人が自分のことに気がついてくれるためには何にでもなる。●自慢する。●他の人の心に印象を残そうとする。●自分以上の自分になろうとする。●誤りを決して認めない。●他の人が自己中心的で、自分の成功に気づいてくれないと怒る。「ねえ、私をみて。」
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ケン・コリヤーという方がTコリント13:4〜8 をまとめた表です
(続く)。
Ken
Collier,
THE WILDS Christian Association
(From
Changed into His Image by Jim Berg)
◎ 暗誦聖句 テモテ前書一章一二節
我(われ)に能力(ちから)を賜(たも)ふ我らの主キリスト・イエスに感謝す。
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◆ 神様の愛と自己愛 (2)
習志野バプテスト教会週報
二〇一二年六月一七日号
▽「人の怒りは、
神の義を
実現するものでは
ありません。」
(ヤコブ書一・二〇)
「選択肢は2つだけです。神様を愛するか、自分を愛するか。」
Tコリント13章
神様の愛
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自己愛
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5、「非礼を行わず」(5節)とは、●自分を犠牲にしても、淑女、紳士であること。●神様の愛をけっして、見苦しい方法や後悔する方法で伝えない。●適切で思いやりがある。●正しい時に正しいことを行う。
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5、失礼、残酷、がさつ。●不適切な行動、言葉、タイミング、非常識な態度(大声、感情的で見るにたえないようなマナー)で他の人の関心を引く。●服装や外見にあまりにも強い関心を示す。「仕方がない。私はこんな人間だから。」「私は自分の思うように生きる。」
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6、「自分の利益を求めず」(5節)とは、●自分を犠牲にしても、自分の権利を主張しないこと。●自己中心ではない。●しもべ。●「私の権利、私の時間、私のお金、私の慰め、私のもの」と言ってつぶやかない。
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6、自己中心。●自分の方法を優先して神様の方法を拒絶する。●自分を喜ばせようとする。●「当然の権利を主張する」「私は正しい」「自分のしたいようにする」「あなたがしたいことは私には重要ではない。私がしたいことが重要」「これは私のもの。どう使おうと私の自由」
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7、「怒らず」(5節)とは、自分を犠牲にしても、黙っていること。●自分に関することのためであるならば、すぐに怒らない。過敏にならず、ちょっとのことでは怒らない(ヘブル10:24)。
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7、怒りをぶちまける。●地震のように大暴れする。●思いやりがなく怒りをもって応答する。●仕返し。●急に爆発する。●自己中心的な理由で怒る。●「私にそんなことをしないで。私の前から姿をけして」(箴言13:10)。
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8、「人のした悪をおもわず」(5節)とは、自分を犠牲にしても、人の悪を記録しないこと。●妬まない。●「許せない。もう終り。」ではなく、関係修復を試みる。●相手の悪意ではなく善意を信じる。●「疑わしきは罰せず」の原則を適応。●相手を許す。
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8、修正不能なインクを使う。●相手のすべてを悪意に受け取る。●「相手が私にした嫌なこと」というリストに書き留めていくため忘れることがない。●妬む。●悪いことを考える。●絶対に許さない。●「私は覚えている」「私は忘れない」…
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9、「不正を喜ばずに真理を喜びます」(6節)とは、自分を犠牲にしても、神様が愛されることを愛し、お嫌いになることを嫌うこと。●聖書的なことを喜んでする。●神様がお嫌いになることを自分の人生に持ち込もうとしない。「神様が愛されることなら、私も愛します。神様がお嫌いならば、私も嫌います。」
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9、不正を喜ぶ。●罪にふける。●自らを不正に導く。●罪(自分のあるいは他の人の罪)のスリルに興奮する。●「これは私の人生だから、私がしたいと思えばする。」「私は強いんだから、これくらい出来る。」「これは私の身体。すこしくらいの楽しみをもってもいいはず。」
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ケン・コリヤーという方がTコリント13:4〜8 をまとめた表です
(続く)。
Ken
Collier,
THE WILDS Christian Association
(From
Changed into His Image by Jim Berg)
◎ 暗誦聖句 テモテ前書二章四節
神(かみ)は凡(すべ)ての人(ひと)の救(すく)はれて、眞(しん)理(り)を悟(さと)るに至(いた)らんことを欲(ほっ)し給(たも)ふ。
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◆ 神様の愛と自己愛 (最終回)
習志野バプテスト教会週報
二〇一二年六月二四日号
▽「愛のない者に、
神はわかりません。
なぜなら
神は愛だからです。」
(Tヨハネ四・八)
「選択肢は2つだけです。神様を愛するか、自分を愛するか。」
Tコリント13章
神様の愛
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自己愛
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10、「すべてをがまんし」(7節)とは自分を犠牲にしても、他の人の弱さを覆うこと。●カバーすること、サポートすること、守ること。●神様に喜ばれることであるならば、覆って守ること。●暴くことではなく、耐えること。
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10、不必要に誰かの罪を暴き、いいふらす。自分に対する誰かの罪を我慢することなく、かえって暴露する。●「人のうわさをするわけではないけれど、…。彼女ったら、ひどいことをしたそうよ。誰にも言わないでね。そして、実はね…。」●「私の夫も(妻も)同じ失敗をする。」
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11、「すべてを信じ」(7節)とは、自分を犠牲にしても、神様と他の人について、すべてを善意に受け止めること。●すべての出来事を最も善意に解釈する。●最善の結果を信じる。●誰かを裁くように見下げない。●相手を裁くためではなく、助けるために見つめる。
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11、裁きたい。●断罪したい。●相手を疑い、悪く悪く考える。●最悪に解釈する。●疑いと皮肉に満ちた心。●「彼はだめだって言ったでしょう。」「彼が考えそうなことはお見通し。」「彼がなぜそんなことをしたのか知ってる。」「だから、私に何をしてほしいっていうの。」「彼は変わるように努力するっていったけど、全然変わっていない。」
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12、「すべてを期待し」(7節)とは、自分を犠牲にしても、諦めないこと。●神様の真理があきらかにされる時には最善の結果が示されると期待すること。●目に見える状況が悪いとしても、全ての状況において希望を持ち続ける。●み言葉には人を変える力があることを信じながら、人々に神様の真理のみ言葉を語る。●神様の恵みが与えられている限り、失敗は決して最後通知ではない。
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12、絶望的な行動。●絶望的な言葉。●絶望的な心。すべてをあきらめる。●祈ることもやめる。●神様を信頼せず、神様に従うこともしない。●「彼にはもう絶望した。」「なぜ努力しない。彼は本気で変わろうなって思っていない。」「これが本当の私。私は変われない。」
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13、「すべてを耐え忍びます」(7節)とは、自分を犠牲にしても、やめたい気持ちになった時にやりつづけること。●どのような犠牲がともなうとしても全ての事をがまんする。●どのような困難であっても、逃げ出さない。
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13、やめる。●「やってみたけれど、藁でラクダをたたくようなものだ(どんなことをしても無理)。」「もうそんなことに首を突っ込むのはごめんだ。次は彼に首をもっていかれちゃう。」「みんなからの信頼があるうちに私は手を引いて逃げる。」「もう限界。」「あなたが私の立場にたったら、わかるはずよ。あなたにだって何もできない。」
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14、「愛は決して絶えることがありません。」
愛は、この地上と天国の両方において神様のみ業を成し遂げる。●愛の源も愛のもたらす結果も、超自然的なものである。
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14、自己愛はいつも失敗に終わる。
(ガラテヤ6:7〜9)「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り…」
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ケン・コリヤー氏がまとめられた表をぜひ読み返してください。
Ken
Collier,
THE WILDS Christian Association
(From
Changed into His Image by Jim Berg)
◎ 暗誦聖句 ネヘミヤ記八章一〇節後半
主を喜ぶ事は汝らの力なるぞかしと
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