千葉県習志野市のバプテスト教会・ファンダメンタル・聖書信仰・聖書を基本から正しく学びます・日曜学校・カムカム英会話・流山伝道所












≪今週のことば(週報から)≫

  2013年7月

  7月 7日
  ◆愛の神を見つめる(12)

  7月14日
  ◆愛の神を見つめる(13)

  7月21日
  ◆あなたの魂にある騒音に気付こう


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  2012年

  1997.8.24〜2011.12.18まで

  最新の週報

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◆ 愛の神を見つめる(12)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一三年七月七日号
   ▽「信仰の創始者であり、
     完成者である
     イエスから目を
     離さないで
     いなさい。」
    (ヘブル一二・二)
   

 

   "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 多くの場合、人は他の人の罪によって傷つけられてきた。そして私たち全ての者が自分自身の罪の故に傷ついてきた。注意しなければ、悲しみと後悔に明け暮れた人生を送ることになる。自分自身の傷を見つめるのをやめて、イエス様の傷に目を向けよう。イエス様こそ、私たちの苦しみと悲しみをすべて負って下さるお方である(イザヤ五三・四)。    

 数多くの讃美歌が贖(あがな)い主(ぬし)であり、救い主であられるイエス様に焦(しょう)点(てん)をあてている理由がここにあるのだろう。「私の神様が私のために死んでくださる」とは「驚くべき愛」である。私たちはそれぞれ「ナザレのイエスのみ前に驚きつつ立ち、罪に汚れて裁かれるべき罪人である私をなぜ愛して下さるのだろうと不思議に思う」ことだろう。「私の救い主の愛はなんとすばらしく、なんと驚くべきものだろう」と一人一人が大きな声で叫ぶべきである。    

 ヘブル四・一五〜一六に記されている大祭司こそ、このお方であられる。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。    

 神様ご自身について、そして神様のご計画や方法について、私たちが理解していないことが多くある。しかしイエス様が十字架の上で、罪人のために死なれたのだから、「神様は私を愛してはくださらない」と考えることは、神様を冒涜(ぼうとく)することになるのは明らかである。    

◇ 神様の愛の効果(神様の愛はどんな違いをもたらすか)    

 堕落した状態から贖われた者への神様の愛の影響力は様々である。    

 マタイ六・二三〜三四、そしてTヨハネ四・一六〜一八は、神様の愛は私たちの恐れを消す、と教えている。  使徒ヨハネは、私に対する神様の愛は、他の人々を愛するように私たちを促す、と語っている(Tヨハネ四・七〜一一)。   

    (続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  申命記四章二九節
但(ただ)しまた其(そ)處(こ)にて汝(なんじ)その神(かみ)主(しゅ)を求むるあらんに[若(も)し心(こころ)をつくし精(せい)神(しん)を盡(つく)してこれを求(もと)めなば之(これ)に遇(あわ)ん]
[ ]は来週暗誦。


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◆ 愛の神を見つめる(13)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一三年七月一四日号
   ▽「自由の律法を
     一心に見つめて
     離れない人」
    (ヤコブ一・二五)
     になろう。
   

 

   "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 パウロは、神様の愛は私たちに活力を与え、伝道を熱心にするように促(うなが)す、と述べている(Uコリント五・一四〜一五)。    

 使徒ヨハネの最後の書である黙示録の中には、罪人に対する神の子羊の愛によって救われた者は、心からの礼拝をささげたいと思うように導かれる、とある(黙示録五・九〜一四)。    

 真実なことは、神様は単に罪人を愛されるのではない。神様は「私」を愛してくださる。このことは、私たちの心を捕らえ、圧倒させる真理である。そして神様の愛は現実のものである。もしあなたが私の娘たちと同じく「あのネコを恐れ」ているなら、すなわち人生に起こりうる危険を恐れているのなら、ネコを抱えている人の愛をまだよく理解していない。すなわち神様の愛を知らないということだ。    

 エペソ三・一四〜一九をすぐに暗誦し始め、祈るべきだ。神様はあなたに神様の愛を知ってほしいのだ。パウロはエペソの信者たちが神の愛を知ることが出来るようにと祈ったのは、パウロが願ったように神様を知ることは、自動的には起こらないからだ。私たちは驚くべき神様の愛に気づくために、神様に目を開いて下さいと祈るべきである。「幸いなことよ。彼(主)に身を避ける者は」と教えられているのだから、あなたも「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」うではないか(詩篇三四・八)。    

 神様の愛はあなたにとって十分そして十分以上であることを知るならば、あなたの魂は安らかに憩(いこ)うことであろう。    

 学んできたことを熟考するために時間を取ろう。    

一、愛する人の写真を財布に入れて持ち歩くように、 あなたの心の中にある「財布」には神様の写真が 入っていることだろう。あなたが神様について考 える時、あなたを個人的に愛してくださっている 神様の大きな愛が浮かんでくるだろうか。それと も、神様があなたを愛してくださっているという 事実を理解するのは難しい状態であろうか。答え とその理由を書きだそう。    

二、詩篇一〇七篇を注意深く読もう。イスラエル人 の神様への反抗、懲らしめ、助けを求める叫び、 そして神様の救出というサイクルに気づこう。詩 篇一〇七篇を考えながら読み、あなた自身の生活 に、イスラエル人と似たサイクルがないか考えて みよう。もしあるなら、それを書きだそう。    

  ◎ 暗誦聖句 申命記四章二九節 
但(ただ)しまた其(そ)處(こ)にて汝(なんじ)その神(かみ)主(しゅ)を求むるあらんに 若(も)し心(こころ)をつくし精(せい)神(しん)を盡(つく)してこれを求(もと)めなば之(これ)に遇(あわ)ん


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◆ あなたの魂にある騒音に気付こう

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一三年七月二一日号
   ▽「心の貧しい者    (神様の恵みが
    なければ
    生きていけない
    と知っている人)
    は幸いです。」
   (マタイ五・三)
   

 

  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませ てあげます。わたしは心優しく、へりくだっている から、あなたがたもわたしのくびきを負って、わた しから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが 来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷 は軽いからです。」 =@マタイ一一・二八〜三〇    

 ゆるやかな流れの川辺又は池の水面に小石を投げたことがあれば、石が接した水面から輪が広がっていくのを見たことがあるだろう。自然界にある音は目には見えないが同じような波からなっている。    

 しかし、魂にある騒音は思考から成っている。魂の中にある騒音を静かにさせたいならば、私たちの思考を点検しなくてはならない。あることについて、どう感じるかという感情を言いあらわしたとしても、自分自身の思考に気付く人はあまりいない。    

 自分の魂の中にある騒音を静めたいのであれば、私たちは感情ではなく思考の跡をたどらなければならない。そして、私たちの思考を神様の御言葉に照らして評価をしなくてはならない。もし私たちの思考に誤りがあればその事を悔い改め、神様を敬うような正しい思考と入れかえる必要がある。誤った思考とはどのようなものかを聖書から学び、しっかりと直視しなければならない。    

◇魂にある騒音はどんな音をだしているのか。    

 イエス様はマタイ一一・二八〜三〇においてこの質問に対するヒントをお与えくださった。その御言葉は平和の原型であり、平和がどのようなものかを教えている。私たちはこのイエス様のお言葉から、神様との平和な関係をどのようにして持てるのか、そして神様がくださる本当の平安をどのようにしたら手にすることが出来るのかを学ぶことができる。    

 イエス様がお話しになっていた人々は弟子たちだけではなかったと思う。イエス様のお話しを聴こうとして集まっていたパリサイ人たちや他の宗教指導者も含まれていたことだろう。又その群衆の中には、神様との平和を得るためにはどうすべきかとパリサイ人たちに尋ね、パリサイ人からそのためにしなければならないことを数多く教えられてきた人たちもいたことだろう。その人たちは魂に平安がなく、救いを得たいと自分の力で努力していた人たちである。    

 ご自分の周りに集まってきた人々に対してイエス様は「わたしのところに来なさい。そして、すぐになくならない本当の休息と安らぎを得るためにはどうしたらよいかをわたしから学びなさい」と仰(おっしゃ)った。あなたは永遠の生命を持っているだろうか。(続)    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書一章三節前半
讃(ほ)むべきかな、我(われ)らの主(しゅ)イエス・キリストの父(ちち)なる神(かみ)



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