千葉県習志野市のバプテスト教会・ファンダメンタル・聖書信仰・聖書を基本から正しく学びます・日曜学校・カムカム英会話・流山伝道所












≪今週のことば(週報から)≫

  2014年3月

  3月2日
  ◆まことに主は大いなるお方(5)

  3月9日
  ◆まことに主は大いなるお方(6)

  3月16日
  ◆まことに主は大いなるお方(7)

  3月23日
  ◆根本主義バプテスト・セミナリー卒業式

  3月30日
  ◆まことに主は大いなるお方(8)

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  最新の週報

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◆ まことに主は大いなるお方(5)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年三月二日号
   ▽「わたしが
     聖であるから、
     あなたがたも、
     聖でなければ
     ならない。」
   (Tペテロ一・一六)
   

 

  聖歌と賛美歌三曲の背景について学んだ。毎日、言葉と歌で神様をほめたたえよう。私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように=iエペソ一・三)という御言葉を暗誦し、実践しよう。    

 神様の御栄光とは「神様が他の全てのものに優ってすばらしいお方であると示す、神様の比類(ひるい)ない卓越性(たくえつせい)である」と学んだ。故に、神様の御栄光を現すとは、私たちの生活を通して、神様のご性質を現すことであり、私にとって神様が一番であることを示すことである。次の聖句を黙想しよう。    

このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 マタイ五・一六    

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。=@ヨハネ一五・八    

それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。=@ローマ一五・六    

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。=@Tコリント六・二〇    

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすために しなさい。=@Tコリント一〇・三一    

 神様にのみ見られる優れたことがらを熟考し、黙想しなければ、どのように神様の栄光を現したらよいか分からないのである。聖書は、神様の栄光を現せ、と命じている。神様こそ全てにおいて最優先にされるべきお方であることを示せ、ということである。    

 神様の御栄光と関係がある神様の唯一性は、神様の聖さとも関係がある。神様の聖さは、悪からの分離であると考えやすいが、それは聖さの一部分にすぎない。神様が被造物から分離されていることが、神様の聖さである。つまり、神様の唯一性こそ聖さの本質である。    

「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか。」と聖なる方は仰せられる。=@イザヤ四〇・二五    

主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。¥oエジプト一五・一一    

 聖なる方は被造物から分離されたお方であり、このお方の他に神はいない。神様を力一杯ほめたたえよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  コリント前書六章二〇節前半 
汝(なんじ)らは價(あたい)をもて買(か)はれたる者(もの)なり


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◆ まことに主は大いなるお方(6)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年三月九日号
   ▽「あなたには、
     わたしのほかに、
     ほかの神々が
     あっては
     ならない。」
    (出エジプト二〇・三)
   

 

  ジム・バーグ博士の "Created for His Glory(神様の御栄光のために創造された)" からの引用    

 「神様は全てのことをご自身の栄光のためになさる。この理解は、聖書を健全に解釈するための基本原則である。神様のご計画を理解し、御言葉を釈義するための重要な鍵となる。神様の恵み、統治そして偉大さは、御言葉を理解し、人や国家に対する神様のご計画を理解する助けとなり、神様についての真理の一部を確かに示してくれる。しかし、神様のご栄光を理解することこそ、神様に関するすべての真理の扉を開くマスター・キーである」(ジョン・フィリップの説明)。    

 エペソ人への手紙の中で、パウロは数回、贖いの目的は神様の栄光があらわされるためである、と宣べている。神様が私たちをお選びになった理由は、神様が私たちにお与えくださった「恵みの栄光がほめたたえられるため」(一・四〜六)とパウロは記している。キリストが私たちを贖ってくださった理由は、「神の栄光をほめたたえるため」であった(一・七〜一二)。   

 そして、聖霊によって証印を押された理由は、「神の栄光がほめたたえられるため」(一・一三〜一四)であった。「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が世々にわたってとこしえまでありますように。アーメン」(三・二一)という言葉をもってパウロは最初の三章をしめくくっている。神様の栄光について無視できない理由がわかったであろう。    

 神様に栄光を帰すということは、すべての信者の鼓動でなければならない。毎日の生活で決断する時、どのようにしたら神様のご栄光をあらわせるのか考えているだろうか。クリスチャン生活において、最も基本的な問いである。この答えによって、喜びと平安に満ちたクリスチャンか霊的になまぬるいクリスチャンかが決まるのである。    

 堕落前、被造物のすべてが創造主なる神様特有の卓越性を指し示していた。天体は創造主の手腕と力の大きさを示し、神様にのみ見られる「最優先性」を証するために創造された。ダビデは、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇一九・一)と声をあげた。    

 神様にのみ見られる卓越性を証するために人間も創造された。すべての天体と動植物にまさるものとして人は創造された。人は神の像として創造された。すなわち、神様ご自身と交わりをもてる人格的特性を備えたものとして創造されたのである。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  出エジプト記二〇章三節 
汝(なんじ)我(わが)面(かお)の前(まえ)に我(われ)の外(ほか)何物(なにもの)をも神(かみ)とすべからず


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◆ まことに主は大いなるお方(7)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年三月一六日号
   ▽「…自分の
     からだを
     もって、
     神の栄光を
     現わし
     なさい。」
   (Tコリント六・二〇)
   

 

  堕落前の人と堕落しなかった天使たちは、「神様こそ全てに優る第一のお方である」と喜んで認めた。神様のお顔を拝することは、アダムにとって至福の時であった。アダムは心から神様を賛美し、神様こそすべての一番であり、偉大なお方であると認めた。神様が自分の生命の源であり、保持者であると直観的に知っていた。「上は天、下は地において、主だけが神であり、ほかに神はない」(申命記四・三九)とアダムは喜んだであろう。神様がアダムの最大の喜びであった。    

 アダムは罪を犯し、人間の本質は堕落した。人間の性質に入り込んだ闇(やみ)の部分は、アダム自身を一番に置いた。アダムは、自分自身こそ最も重要な存在であると考えるようになった。これまでは、神様こそが生きる目的であり、命と力の源であったのに、自分が神の立場にとってかわった。アダムは自分を最優先に考えるようになった。    

 すなわち、自分自身に栄光を帰するようになった。アダムのフォーカスは「神様が一番」から「自分が一番」にかわった。アダムは、神様にのみ見られる卓越性(たくえつせい)を喜び、神様のすばらしさを反映させるという目的を果たせなくなった。すなわち、神様の栄光をあらわすことができなくなった。これが、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ三・二三)の意味である。    

 理解の助けとなっているだろうか。難しく感じても、あきらめないでほしい。近年のクリスチャンは霊的に栄養不足で、神様の御栄光や聖さ、最優先性について考えてこなかったことが、難しく感じる理由である。この重要な学びを理解するために、このシリーズを最初から読み直す必要があるかもしれない。    

 がっかりしないでほしい。エドムンド・ヒラリーは、エベレスト登頂に成功するまでに九回キャンプをし、休息と気分転換をしている。登山隊は一九五三年三月一〇日に出発。当時、カトマンズから標高五三八〇メートルにあるベースキャンプまでの道がなかったので、三〇〇キロメートルのハイキングから始まった。エドムンド・ヒラリーと仲間のテンジン・ノルゲイは五月二九日にエべレスト初登頂に成功し、世界で一番高い所からの眺(なが)めを経験した。大いに報われた。    

 神様の御栄光について学び続けるならば、あなたも豊かに報われることであろう。エペソ人への手紙を記す間、常にパウロをわくわくさせ、また支えた真理を見つめるなら、天上の神様の御栄光を拝し、あなたも報われるであろう。    

〈ジム・バーグ博士の "Created for His Glory(神様の御栄光のために創造された)" からの引用〉    

   

  ◎ 暗誦聖句   出エジプト記二〇章三節


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◆ 根本主義バプテスト・セミナリー卒業式

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年月日号
   ▽「このバルナバと
     パウロは、
     私たちの
     主イエス・
     キリストの
     御名のために、
     いのちを
     投げ出した
     人たちです 」
   (使徒一五・二六)
   

 

  私たちは、イエス・キリストの福音宣教のためにフルタイムで献身する人が起こされるように祈ってきました。二〇〇九年に一人の兄弟が、神様のお導きに従ってフルタイムの献身をしました。その年の五月、招聘委員会では神様に感謝をし、その兄弟のこれからの学びのために祈りの時をもちました。    

 色々なことを考え、祈り、当教会で献身者を訓練する学校を始めることを決めました。二〇〇九年一〇月一一日、習志野バプテスト教会内に根本主義バプテスト・セミナリーが開校しました。一年目は、神学生に必要な科目でかつ、教師の準備が間に合う科目を教え始め、二学年目に卒業に必要な履修科目(案)を作成し、三学年開始時に卒業に必要な履修科目が決まりました。教師にとっては、教えられる科目から教えなければならない科目の準備開始でした。    

 神学校の働きをお守りくださり、今日、第一回卒業式を迎えられることは、神様の恵みです。神様は、神学生の健康と学びを支え、講師の健康と講義(その準備と採点、指導)を守り、兄姉の祈りとささげものを通して必要を満たしてくださいました。神様は、教師と神学生を励まし、力を与えてくださいました。神様の御名を心から賛美しましょう。    

 イエス様は群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われました。 そして、弟子たちに言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(マタイ九・三六〜三八) 。 次の献身者が与えられるように    

 祈りましょう。収穫は多いのです。ですから、「次の」ではなく、更に多くの献身者が与えられるように祈りましょう。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝え」(マルコ一六・一五) るためには、働き手が少ないのです。    

「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたイザヤは、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と言いました。神様は、才能のある者ではなく、神様に依り頼む者、喜んで従う者をお用いになります。神様は「知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」(Tコリント一・二七)。神様はあなたにもお声をかけていらっしゃいませんか。    

 神様は弱い者に力を与え、知恵の欠けた者に知恵を与え、み心を成し遂げてくださいます。神様のご栄光が豊かにあらわされるのです。    

   

  ◎ 暗誦聖句  使徒行伝一五章二六節 (二週間で)


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◆ まことに主は大いなるお方(8)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年三月三〇日号
   ▽「どうか、
     この神に
     栄光が
     とこしえに
     ありますように。
     アーメン。」
    (ガラテヤ一・五)
   

 

   神様こそ最優先されるべきお方であると示されるとき、神様のご栄光(えいこう)が現される。他の人たちは、私たちの生活を通して、神様のご栄光を拝(はい)しているだろうか。天国において教会を代表する贖(あがな)われた人たちの言葉を聞いてみよう。    

「主(しゅ)よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉(ほま)れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物(ばんぶつ)を創造(そうぞう)し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録四・一一)    

 最優先されるべきお方は、全てをご自身の喜びのために創造された。この聖句を黙想する度に、質問が心に湧(わ)いてくる。神様に喜んでいただくにはどうすればよいのか。罪深く弱い者が、創造主なる神様に喜んでいただくことができるのか。これらの問いに対して、人間と犬の関係が答えを与えてくれた。    

 多くの人が犬を飼っている。動物と人では大きな違いがあるが、それぞれに喜びをもたらす関係を築くことができる。    

 暖炉の前に座る飼い主の足下に体を丸めてすやすやと犬は眠る。主人が立ち上がり、ドアに向かうと、犬も起き上がり、ご主人よりも早くドアに走っていく。ご主人がドアを開け、「さあ、新聞をもっておいで」と言う。犬はさっそうと走っていき、新聞をくわえて戻って来る。ご主人の所に戻ると、しっぽをふりながら新聞を飼い主に渡す。主人は犬の頭に手をおいて、「良い子だ」といってなでる。犬はご主人を喜ばせたのである。人も犬も喜んでいるのである。    

 私のご主人である神様は完全で、力に満ちたお方である。不十分な私の働きで神様に喜んでいただくことはできない。私が「ご主人の新聞」を運んでくるならば、新聞によだれをつけ、一部を破ってしまうことであろう。家に入れば、足の泥(どろ)で床も汚してしまうであろう。それにもかかわらず、私の主は、「よくやった。善かつ忠なる僕よ」と誉めてくださるのだ。   

 何ということであろう。弱さのために良い働きはできないが、神様に従おうとする熱意とご命令に喜んで従おうとする姿を、神様はお喜びくださるのである。私は神様に、「あなたは、何とすばらしいご主人でしょう。あなたのようなお方は他にはいません。あなたのペットであることを心から感謝します。」と申し上げることしかできないのである。しかし神様は、私の心からの賛美をお聞きくださり、お喜びくださる。私が神様を全てのものに優(まさ)るお方として正しく見ているからである。神様に愛されていることこそ、私にとっての最大の喜びである。神様こそ私のご主人でいらっしゃる。そして、神様の愛を感謝し、神様に喜んでお仕えしようとする私の姿を、神様は喜んでくださるのだ。(続く)    

『神様の御栄光のために創造された』(バーグ博士著)から要約    

   

  ◎ 暗誦聖句  使徒行伝一五章二六節


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