千葉県習志野市のバプテスト教会・ファンダメンタル・聖書信仰・聖書を基本から正しく学びます・日曜学校・カムカム英会話・流山伝道所












≪今週のことば(週報から)≫

  2014年7月

  7月6日
  ◆賛美をしながら教会に来よう(2)

  7月13日
  ◆賛美をしながら教会に来よう(3)

  7月20日
  ◆賛美をしながら教会に来よう(4)


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  最新の週報

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◆ 賛美をしながら教会に来よう(2)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年七月六日号
▽「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。」 (詩篇一〇〇・四)
   

 

  アルフレッド・スミス著 "AL SMITH'S Treasury of Hymn History" より    

 一九四〇年代、ミシガン州にある教会の夕拝で独唱する機会が与えられた。集会後お腹がすいたので、ある店に入って、サンドウィッチを注文した。真っ白い髪をし、厚いレンズのメガネをかけた年輩の男性が近寄ってきて、「アル・スミスさんですか」とお尋(たず)ねになった。「はい」と答えると、私の手を握って「ジョージ・ベンナードです」と言われた。神様からの祈りの答えであった。私は、「丘にたてるあらけずりの」を作詞作曲したベンナード博士に会い、どのようにしてこの曲ができたのか伺いたかったのだ。博士から直接伺ったことは以下の通りである。    

 「私はヨハネ三章一六節が大好きです。黙想するたびに、そのみ言葉の深い意味が示され、十字架上が目に浮かびます。美しい金色の十字架ではなく、荒削(あらけず)りの木の十字架です。そして、神の御子が私の罪のために流された血がついている十字架です。私は心の目でこの十字架を見つめながら、この曲を作ったのです。メロディーはすぐに決まりました。折り返しの「私は荒削りの十字架を見上げる」(注・日本語訳とは少し違います)は決まったのですが、それ以外の歌詞が出てきませんでした。」    

 「ニューヨーク州の教会で伝道集会がありました。招きの時に、カルバリの十字架上で完成されたキリストの贖(あがな)いの御業(みわざ)を信じて、多くの人が救い主イエス・キリストの御許(みもと)に来ました。その時私は、十字架を通して示された神様の愛がどれほど大きいか教えられました。伝道集会で人々が救われたのを見、心躍る経験をした私の心には、十字架の大切さが刻まれました。ミシガン州に戻り、これまで長い間完成させられなかった曲に向かいました。カルバリの十字架を中心テーマとし、書き直し始めました。不思議なことに、いっきに歌詞を書き終えることができたのです。」    

●聖歌 (総合版/1958年版とも) 402番  丘にたてるあらけずりの    


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◆ 賛美をしながら教会に来よう(3)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年月日号
▽「 いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」 (詩篇九一・一)
   

 

  ●聖歌 (総合版)336番 (1958年版)347番 いかにおそるべき    

 ウィリアム・スティル。マーティン夫妻と娘は、ニューヨーク州にある実践的バイブル・トレーニング学校に宿泊していた。マーティン博士は、その学校に宿泊し、巡回伝道者として諸教会をまわって説教をしていた。一九〇四年のことであった。    

 宿泊場所からかなり遠い教会で説教をすることになっていた日曜日、博士が目をさますと、奥様の具合が悪かった。あまりにも苦しそうであったので、ご用をキャンセルし、看病(かんびょう)しなければならないと思った。博士が奥さんにその旨(むね)を伝え、奥様が答えようとする時、七才か八才であった娘が、「お父さん、お母さんのためにここに残る必要はないのではありませんか。神様が私たちをお守りくださりますから。」と言った。娘を通して神様がそのことを思い出させてくださったと確信し、奥さんも「その通りです。あなたは心配せず、ご奉仕に行ってください。」と言ったので、教会に向かった。汽車で移動し、ようやく教会に着くと、奥さんからの伝言が届いていた。「痛(いた)みはおさまりました。神様が守ってくださいました。    

 マーティン博士がご用を終えて学校のゲスト・ルームに戻ると、奥さんが待っていた。「苦しみが最も激しかったときに、神様は私の心を励ましてくださいました。娘が言った通り、神様が私たちを守ってくださいました。」と言いながら、書き上げたばかりの詩をご主人に渡した。God Will Take Care of You(神様があなたを心配し、お守りくださる)という詩であった。マーティン博士は、ゲスト・ルームにあったピアノの前に座って、その詩を黙想していた。奥様が書いた詩にぴったりのメロディーをご主人が書き上げた。今も多くの人に、「神様はいつもあなたを心にかけ、お守りくださる」という真理を思いださせている。    

   【アルフレッド・スミス氏の本を参考】    

 日本語は三節しかないが、英語には四節がある。
四、いかなる試練(しれん)が迫(せま)りくとも
   疲(つか)れ果(は)てしとも 御許(みもと)に来(こ)よ
  (折り返し)
   

  ◎ 暗誦聖句  コリント前書一〇章三一節


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◆ 賛美をしながら教会に来よう(4)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年七月二〇日号
▽「 …あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。…」(申命記七・九)
   

 

  ●聖歌 (総合版)424番 (1958年版)423番 「告げよ主に」    

 エリシャ・ホフマンは、ペンシルヴァニア州レバノンで牧会していた時にこの曲を書いた。    

教会員のある姉妹は、絶えず試練に直面し、いつも悩み苦しんでいるように見えた。ホフマン牧師は、この姉妹がみ言葉の黙想と祈りを必要としていることを感じた。ホフマン牧師は、よくこの姉妹を訪問し、聖書を一緒に読み、祈った。姉妹は重荷を主にゆだね、心が軽くなり、明るくなってきた。    

ある日、この姉妹を訪ねると、新しい難問が彼女を襲っていた。姉妹は完全に打ちのめされ、落胆していた。何がおこったのかを牧師に話しながらも、あまりにも心が苦しく、「先生、私はどうしたらよいのですか。もうどうしてよいか分かりません」と叫んだ。彼女が悲しい出来事を話し終えたとき、ホフマン牧師は、聖書を開いて、神様の誠実さを示す聖句、神様に信頼すべきことと信頼する者に与えられている約束についての聖句を読んだ。そして、「姉妹、重荷の大きさにかかわらず、神様はすべての重荷、悲しみを負ってあげたいと思っていらっしゃるのですよ。私たちに出来る最善は、すべての重荷をイエス様のみ許にもっていき、お話しすることですよ」とすすめた。しばらく沈黙が続いた。「そうですとも。先生が正しいですわ。イエス様に告げるべきです。何もかも主に」と言った姉妹の顔は赤らんで、目は輝いていた。    

ホフマン牧師の心は「告げよ主に」という言葉で一杯であった。これこそ全世界の人が知らなければならないことで、歌以上にこの真理を人々に伝える良い方法はないと思い、この詩を書きはじめた。姉妹を訪問した   

その日の午後、この曲が出来あがった。    

【アルフレッド・スミス氏の本からの要約】    

   


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