≪今週のことば(週報から)≫
2014年8月
8月 3日
◆聖霊なる神様があなたを導いてくださる
8月10日
◆心を騒がしてはなりません
8月17日
◆神が私の味方(みかた)です
8月31日
◆ミャンマー宣教報告(1)
バックナンバー
2014年 1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月
2013年
2012年
2011年以前(1997年〜)
最新の週報
---------------------------------------------
◆ 聖霊なる神様があなたを導いてくださる
習志野バプテスト教会週報
二〇一四年八月三日号
▽「神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」テトス三・六
先週の礼拝で、聖霊なる神様についてともに学んだ。
聖霊なる神様の助けとお導きを求めて、一日一日を過ごしてゆこう。
一、聖霊なる神様は、もう一人の助け主、真理の御霊(みたま)
「わたし(イエス・キリスト)は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ一四・一六)
「その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ一四・一七)
聖霊なる神様があなたの内におられることを意識して生活しているだろうか。聖霊なる神様を個人的に親しく知っているだろうか。聖霊なる神様は、私たちのうちに、私たちとともにいらっしゃることをどのように感じていらっしゃるのであろうか。あなたは、聖霊なる神様があなたとともにいらっしゃることをどのように感じているのであろうか。
二、聖霊なる神様のお働き
「…助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣(つか)わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ一四・二六)
「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ一五・二六)
「(聖霊は)罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ一六・八)
「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」(ヨハネ一六・一三)
「御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」(ヨハネ一六・一四)
ご聖霊は、言いようもない深いうめきによって私たちのためにとりなしてくださる(ローマ八・二六)。
聖霊を悲しませていないだろうか(エペソ四・三〇)。
御霊を消していないだろうか(Tテサロニケ五・一九)。
主の聖なる御霊を傷つけていないだろうか(イザヤ六三・一〇)。
聖霊なる神様に満たされて生きよう(エペソ五・一八)。ご聖霊に支配していただく人生である。
◎ 暗誦聖句 創世記一章一節
<<トップに戻る>>
-----------------------------
◆ 心を騒がしてはなりません
習志野バプテスト教会週報
二〇一四年八月一〇日号
▽「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。」(イザヤ四一・一〇)
あなたがたは心を騒(さわ)がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。<ハネ一四章一節
首記(しゅき)の聖句を何度も読み、黙想しよう。暗記して、心が騒ぎそうになるとき、イエス様のこの御言葉をすぐに思い出せるようになるまで、暗誦聖句を続けよう。暗記が得意な方は、ヨハネ一四・二七も同時に覚えよう。 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
信者であっても、人は恐れやすく、不安になりやすいことを、イエス様はご存じでいらっしゃり、心を騒がせてはいけないと繰り返しておっしゃった。イエス様は、そのご命令(励まし)と同時に、恐れたり、心配したりしないでよい理由をもお話しくださった。世が救われるために御子を世に遣わされた神様、すなわち、世(人間)をこよなく愛される神様は、ご自分を信じる者を、必ずお守りくださるのである。この事実と確信のゆえに、穏やかな心で生きることができる。
水をぶどう酒に変え、王室の役人の息子をいやし、盲人の目を見えるようにし、死んだラザロを生き返らせたイエス様のお力を、弟子たちは拝(はい)した。弟子たちはさらに、死んだラザロのために涙を流され、一人の女性の救いのためにサマリヤを通られ、彼らの汚い足を洗われたイエス様の愛に直接触れることができた。それでも弟子たちは、主イエス・キリストの愛とお力を疑ってしまいそうになったのである。
ダビデは、「 私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖(あがな)い出してくださいました。 私は、むなしい偶像につく者を憎み、主に信頼しています。 あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。 あなたは私を敵の手に渡さず、私の足を広い所に立たせてくださいました」(詩篇三一・五〜八) と告白している。愛と力に満ちた神様が私たちを必ずお守りくださるとの証言でもある。困難は私たちから逃げないが、その苦しい状況に耐え、複雑な問題を解決するために必要な力と助け(恵み)を神様は必ずお与えくださる。ダビデの心は神様の恵みによっていつも満ち足りていた。
御霊(みたま)は、首記の聖句(御言葉)をお与えくださったイエス様を信じるよう励ましてくださる。ダビデのように、私たちも自分自身を主の御手にゆだねよう。御霊に支配していただこう。不安に打ち勝つ秘訣である。
◎ 暗誦聖句 ロマ書一〇章一四節後半
…宣(のべ)傳(つた)ふる者(もの)なくば爭(いか)で聽(き)くことをせん。
<<トップに戻る>>
-----------------------------
◆ 神が私の味方(みかた)です
習志野バプテスト教会週報
二〇一四年八月一七日号
▽「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」(Uテモテ三章一節)
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。℃黒ム五六篇三、四節
首記の聖句のようにいつも言えるなら、何と幸いだろう。私たちを恐れさせるようなことが起こる時に、神様を信頼できるのは、人間の信仰深さではなく、私たちを愛し、助けてくださる力強い神様のゆえである。心が恐怖でいっぱいの時、私たちの隣(となり)で支えてくださる神様を見つめることができるなら、ダビデと同じく、神様をほめたたえ、神様のすばらしさを人々へ証言できる。
神様のお言葉、神様についてのお言葉をよく学び、神様を個人的に親しく知る事を求めよう。
この篇の表題に「ペリシテ人が、ガテでダビデを捕らえたときに」とある。ダビデは苦しみの中にいた。
「神よ。私をあわれんでください。人が私を踏みつけ、一日中、戦って、私をしいたげます。」(一節)とある。惨(みじ)めな状態からの救出が、あわれみの中心的な意味である。ダビデは正(まさ)に、「みじめな状態から、私を救出してください」と祈ったのである。
「…神が私の味方であることを私は知っています。神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。 私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。」(詩篇五六・九b〜一一)
み言葉を学び、心にとめていたダビデは、神様が自分の味方であることを知っていた。あなたは、神様があなたの味方でいらっしゃることを知っているだろうか。そのことの故に、他の人が何をするかと恐れず、穏やかな心になっているだろうか。私たちは肉の眼で神様を拝することはできない。しかし、神様のお言葉はご自身について私たちに教えてくれる。みことばを読める幸いは、神様を知ることができることである。
「あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。」(八節)とダビデは祈った。私たちの髪の毛の数までご存知の神様は、あなたの涙をご覧になっている。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」(詩篇五五・二二)。ご聖霊は、あなたが聖書を開く時、神様のお約束が真理であり、信ずる者には恵みを豊かにお与えになることを教えてくださる。あなたの心を、人生を、御霊(みたま)に支配していただこう。
◎ 暗誦聖句 ロマ書一〇章一四節後半
<<トップに戻る>>
-----------------------------
◆ ミャンマー宣教報告(1)
習志野バプテスト教会週報
二〇一四年八月三一日号
▽「魂の収穫のために福音の種をまき、祈りという水をそそごう。」
皆様のお祈りに支えられ、一〇日間のご奉仕を終え無事に帰国しました。現地責任者のスム博士と教師、学生から、皆様への感謝の言葉をあずかってきました。
現在男子学生一〇名、女子学生八名が勉強に励んでいます。一時限は五五分で、行間休みは五分です。朝七時三〇分から授業開始で、二時限目終了後にチャペル(三〇分)があり、一〇時から朝食(一五分間)。一〇時二〇分から三時限目開始、五時限目終了の一時一五分から昼食と休憩(一時間一五分間)、そして、二時半〜四時半が自習時間です。私たちの滞在中は、朝九時から授業開始で五時限目が四時に終わるようにしてもらいました。とても助かりました。
三年生と四年生は、英語だけでも理解できたと思いますが、一、二年生のために、英語からミャンマー語の通訳をお願いしました。ホプテ先生(インドで神学修士課程を修められた方)が講義は殆ど通訳してくださいました。「神様は私にとって十二分なお方」(ジム・バーグ博士)の本から共に学びました。土曜日も授業ができたので、全ての章をカバーすることができました。一人の学生が「自分の心にある騒音(そうおん)に気づきました。友人がお金を稼(かせ)ぎ、豊かになるのを見て、うらやましく、ねたましく思ってしまうことがありましたが、その心を悔い改めます。私がCTCで勉強が出来るのは、神様の恵みであり、神様のご計画によることを改めて教えられました」と証(あかし)をしてくれました。
家内は、合唱、指揮法、視聴覚教材の準備と使い方を教えました。どの授業も学生たちは、熱心に学んでいました。合唱は時間が足りず、夜にも練習をし、日曜日の礼拝で二曲賛美をささげました。礼拝後にスム先生が「これまでは賛美というよりも叫んでいた。今日、はじめて賛美ができたと思う」と仰(おっしゃ)いました。指揮法も学生は積極的で、難しい曲をあえて選んで練習していました。通訳の私も指揮法を学べたことは感謝でした。最後の日は、教師も含め全員が指揮をしました。ピアノとキーボードがありますが、弾ける人がいません。ホプテ先生が、教会音楽を学びたい、とおっしゃいました。マニラにあるボブ・ジョウンズ大学記念神学校がよいかもしれないと伝えました。常駐の教師が賛美や指揮法の指導、ピアノの指導ができたら、学生は多くを学び、伝道にいかせることでしょう。
ご奉仕を全うできるように私たちを助けてくださった神様を誉(ほ)め讃(たた)えます。「あなたがたは心を騒(さわ)がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ一四・一)とのイエス様のお言葉が支えでした。 皆様のお祈りに感謝いたします。
◎ 暗誦聖句 テサロニケ前書五章一六節〜一八節前半
<<トップに戻る>>
|