千葉県習志野市のバプテスト教会・ファンダメンタル・聖書信仰・聖書を基本から正しく学びます・日曜学校・カムカム英会話・流山伝道所












≪今週のことば(週報から)≫

  2014年4月

  4月6日
  ◆まことに主は大いなるお方(9)

  4月13日
  ◆まことに主は大いなるお方(10)

  4月27日
  ◆まことに主は大いなるお方(11)


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  最新の週報

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◆ まことに主は大いなるお方(9)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年四月六日号
   ▽「神は
     高ぶる者を
     退け、
     へりくだる者に
     恵みをお授けに
     なる。」
   (ヤコブ四・六)
   

 

  神様の御栄光のために創造された』(バーグ博士著)から要約    

 神様と私の関係と、飼い主とペット(犬)の関係の違いは、神様は私をご自身のかたちに創造されたことである。すなわち、私は神様との関係をある程度理解することができるのである。犬はそうしたことはわからない。    

 もちろん、神様と私たちとの間に大きな隔(へだ)たりがあることを理解しているが、私のお父様であられる神様の近くにいることを感じられるのである。私の欠けだらけの奉仕を受け入れてくださり、汚れた足でカーペットを汚しても赦(ゆる)してくださる神様のみ前に、ただひれ伏(ふ)すのみである。    

 私は弱く、欠けた者であり、汚れた者である。それにもかかわらず、神様は私を愛してくださり、私が「いつまでも、主の家に住ま」うことをお望みくださる。このようにすばらしいご主人のペットがどれほど恵まれているかおわかりであろう。神様こそ最高のお方であられることをすべての人に知ってほしいのである。神様こそ一番のお方であり、すべてのことに最優先されるべきお方である。    

 神様のご栄光のために私たちが創造されたというのは、このようなことを意味するのである。神様ご自身の喜びのために創造された神様の「ペット(特別な者)」の一人である私たちは、神様こそ一番であられることを認め、その事実を喜ぶことによって、神様のご栄光をあらわすことができるのである。いくつかの方法でそのことが可能である。    

◇私たちの決断によって、神様が一番のお方であるこ とを示そう。    

 神様のご栄光をあらわそうとするならば、まず、神様の最優先性を反映する決断をするべきである。罪深い性質のゆえに、神様に背(そむ)こうとする私たちは、自分を第一に考えやすい。まさにルシファー(悪魔)が犯した罪である。神様に対して最初に反逆した天使についての神様ご自身の記述を見てみよう。    

暁(あかつき)の子、明けの明(みょう)星(じょう)よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破(やぶ)った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。 あなたは心の中で言った。『私は天に上(のぼ)ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲(みつうん)の頂(いただき)に上り、いと高き方のようになろう。』=iイザヤ一四・一二〜一四)    

 サタンは自分が一番になることに執(しゅう)着(ちゃく)したことに気付こう。サタンも被造物であり、創造主に優ることや一番になることはできない。しかし、傲慢(ごうまん)にもサタンは自分を神の立場におこうとした。    

     (続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  使徒行伝一五章二六節


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◆ まことに主は大いなるお方(10)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年四月一三日号
   ▽「(主の御声に)
     聞き従うことは、
     (全ての)
     いけにえにまさる。」
   (Tサムエル一五・二二)
   

 

  『神様の御栄光のために創造された』(バーグ博士著)から要約    

 創造主と個人的な交わりを持てるように、人間は創造された。人間は、堕落しなかった天の軍勢に加わって神様の最優先性という卓越した唯一性を認め、楽しむことができる。アダムとエバがあのへびに耳を傾けてルシファーの反逆に加わるまでは、神様の御栄光をあらわし、創造の目的を満たしていた。エデンの園で起こった最初の誘惑を考えてみよう。もしアダムが次のようにエバに答えていれば、アダムは神様の御栄光をあらわすことができたのである。    

 エバよ。ヘビがあなたに言ったことは、一番であるお方が仰ったことと正反対である。創造主は知恵において一番優れたお方である。私たちもへびも含めて被造物は何が最善であるかを神様以上に知ることはできない。一番のお方が「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と仰った。神様のご命令には必ず理由がある。ヘビが何と言おうが、神様よりも知っているふりをすることは、私にはできない。    

 私たちが本来手にすべきものを神様が妨害して阻んでいるかのように、ヘビは言っているが、全てに一番のお方が善において一番でないということはありえない。ヘビは「あなたがたは決して死にません。」と言うが、神様こそ真理においても一番のお方である。ヘビの言葉に耳を傾けるならば、神様はすべてのことに一番のお方であるという真理を否定することになる。これから起こることを私は理解しえない。しかし、創造主であり、すべてに一番であるお方を私は裏切ることはできないのである。    

 もしアダムがこのように答えていたならば、「神様に御栄光を帰す」ことができた。その決断は、アダムにとって神様が一番であり、最優先されるべきお方だと示したはずである。すでに見てきた通り、神様こそ信頼し服従するに価する唯一の卓越したお方であり、すべてのものに優って最優先されるべきお方であることを示さないことが罪であり、「神からの栄誉を受けることができず」である。    

 創造主なる神様が人間にお与えになった偉大なご命令を覚えよう。

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない
(出エジプト二〇・三 )、

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです
(マタイ二二・三七〜三八)。

(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  コリント前書六章一九節後半


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◆ まことに主は大いなるお方(11)

   習志野バプテスト教会週報
   二〇一四年四月二七日号
   ▽「人はうわべを
     見るが、
     主は心を
     見る。」
       (Tサムエル一六・七)
   

 

  『神様の御栄光のために創造された』(バーグ博士著)から要約    

 ダビデは心を尽(つ)くして神様を愛した。ダビデの祈りを見れば、それは明らかである。 主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方(かた)です。∞T歴代二九・一一    

 被造物の健康と幸い、そして創造主の喜びは、被造物が神様を凡(すべ)てのものに最優先されるべきお方として認め、礼拝するかどうかにかかっている。健康と幸いを人間の本質に見つけようとすることは、神様の義に背(そむ)くことである。神様がどのようなお方で、何をしてくださったのかを知った者が、神様にどのように応答すべきかについてパウロが記(しる)した言葉を見てみよう。    

というのは、キリストの愛が私たちを取り囲(かこ)んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。=@ Uコリント五・一四〜一五    

 凡てに最優先される神様に受け入れられ、人間がなしうる唯一(ゆいいつ)の応答は、自分自身のために生きてきたことを悔い改め、神様に従うことである。今日、精神的な「障害」について多く語られているが、最大の障害(混乱)は、神様ではなく自分自身を一番に置くことである。被造物の神様への反逆が永遠の死をもたらすのである(ローマ六・二三)。命令をくだすべきお方が立つ場所に、罪人は割(わ)り込み、自信満々でそこに立ち、自分の人生という船から神様を力づくで追い出してしまったのである。    

 ◇神様が一番でいらっしゃることを黙想し、神様の御栄光を示そう。    

 決断によって人生に何が一番大切であるかが分かることを見てきた。すなわち、決断によって神様が第一か自分が第一かが分かることを学(まな)んだ。み言葉に啓示(けいじ)されている神様の卓越(たくえつ)さを絶えず考えていなければ、神様にのみ見られるすばらしさを、私たちの決断によって現(あらわ)すことはできない。    

 故(ゆえ)に、神様にのみ見られる卓越性、すなわち御栄光を拝する時間を私たちは持つべきである。人間が、目には見えない神様に関する事柄をいつも黙想し、心の焦点(しょうてん)を神様にあわせていないなら、何が正しく、何が一番であるのかを知ることはできない。私たちは目に見えないものを見続けることが大切である。聖書に啓示されている壮大な事実を、日毎に、そして時には一時間毎に熟考(じゅっこう)しなければ、「自分が第一」になってしまうのである。(続)    

   

  ◎ 暗誦聖句  使徒行伝 四章一二節前半
他(ほか)の者(もの)によりては救(すくい)を得(う)ることなし


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