千葉県習志野市のバプテスト教会・ファンダメンタル・聖書信仰・聖書を基本から正しく学びます・日曜学校・カムカム英会話・流山伝道所












≪今週のことば(週報から)≫

  2014年10月

  10月5日
  ◆○ ○ の 秋 (1)

  10月12日
  ◆○ ○ の 秋 (2)

  10月19日
  ◆○ ○ の 秋 (3)

  10月26日
  ◆○ ○ の 秋 (4)

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  最新の週報

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◆ ○ ○ の 秋 (1)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年一〇月五日号
▽「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Tテモテ二・四)
   

 

  今、我が家の台所は、京都の伯母(おば)から届いた丸々とした栗(くり)と甥(おい)がほってくれた大きなサツマイモでにぎわっている。秋はおいしいものが一杯で、日本人でよかったと思う。○○の秋に、あなたはどんな言葉を入れるだろうか。今日は、収穫の秋について考えてみよう。    

 今年の夏は、キャンプとミャンマー宣教旅行があり、その準備でいそがしく、せっかく育てたゴウヤとトマトの実をだめにすることが多かった。はじめて植えたオクラは三本の収穫であった。    

 色々な物が収穫期(しゅうかくき)を迎えている。土を耕し、雑草をぬき、種をまき、肥料と水をやり、支柱(しちゅう)をたて、日よけをつけ、虫を駆除(くじょ)してきた生産者にとって、収穫は大きな喜びであろう。収穫までが大変であればあるほど、収穫時の喜びは大きいはずである。    

 日本とフランスは宣教師の墓場といわれるようだ。日本もフランスも一人の魂(たましい)が救われるまでに、大変長い時間がかかる。「期待が長引くと心は病(や)む」(箴言一三章一二節)とあるように、一生懸命に伝道をしても、長年だれも救われないと、落胆し、宣教地を離れてしまいやすいのである。「善を行うのに飽(あ)いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(ガラテヤ六章九節)と教えられているので、あきらめずに宣教を続ける必要があり、また、宣教師、牧師、伝道者のために祈り、支援(しえん)する必要がある。    

 最も基本的なことではあるが、種をまかずに収穫を期待してもだめである。どんなに竿(さお)、しかけ、餌(えさ)を準備しても、つりにいかなければ魚が釣れないように、種をまかなければ、実を収穫することはできない。人人の反応を恐れず、主イエス様について話せるように互いに祈りあおう。    

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊(れい)ではなく、力と愛と慎(つつし)みとの霊です」(Uテモテ一章七節)。    

「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心(かんしん)を買おうと努(つと)めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません」(ガラテヤ一章一〇節)。    

 人は色いろな考えをもっている。福音(ふくいん)を語る時に、人によって反応は様々である。そして、少ないかもしれないが、福音を聞いて、喜び、イエス様を信じて救われる人がいるのだ。あなたもその一人である。私たちはすべての人を喜ばすことはできない。ならば、私たちのために命を捨ててくださった方に喜んでいただくことこそ、私たちが願い求めることであろう。魂の救いのために祈り、励もう。    

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書一章三節前半
讃(ほ)むべきかな、我(われ)らの主(しゅ)イエス・キリストの父(ちち)なる神(かみ)、…


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◆ ○ ○ の 秋 (2)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年一〇月一二日号
▽「…私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」(詩篇七三・二八)
   

 

   CTC(ミャンマーのカノン神学大学)の学生はご飯をよく食べる。パサパサのご飯を一口大に固めて口に入れる。カレー皿に山盛(も)りのご飯を野菜いためと野菜スープと一緒に食べる。学生に何かを差し入れしようと、ホプテ先生に何が良いのか聞いてみた。先生が学生に何が希望かとたずねると、「お肉」と即答であった。普段、お肉は食べられないのである。日本と同じく、牛、豚、鶏の順に値が下がるとのこと。豚肉を4s買って、昼食で食べた。大満足の様子であった。日本のお米よりも軽いのか、私たち夫婦も山盛りのご飯を食べるようになっていた。    

 食べ過ぎは体に良くないが、食欲(しょくよく)があることは感謝なことである。私は気持ちが悪くなると、子供の頃から、お腹(なか)のすきすぎを疑(うたが)う。そしてほぼ的中する。ごちそうを沢山(たくさん)食べても次の食事を抜かない。一日に三回しか食事はないのだ。日本とアメリカのクリスチャンの献金によって、CTCの学生も一日に三回食事ができるようになった。皆様の献金に感謝していた。お腹がすくと「ぐ〜」と鳴って、集中力が鈍(にぶ)る。力も入らない。何日も食欲がなければ病気であろう。食欲の秋であるが、あなたの食欲はいかがであろう。    

生まれたばかりの乳飲(ちの)み子のように、純粋(じゅんすい)な、みことばの乳を慕(した)い求めなさい。それによって成長し、救(すく)いを得(え)るためです。=@(Tペテロ二・二)    

 霊(れい)の食べ物に対する食欲はいかがだろう。赤ちゃんのようにみ言葉を慕(した)い求めているだろうか。聖書を毎日読み、霊の糧(かて)を適量(てきりょう)得ていらっしゃるだろうか。    

外(そと)なる人は衰(おとろ)えても、内(うち)なる人は日々新(あら)たにされ(る)=iUコリント四・一六)。    

 身体(からだ)は、ある時から衰え、食事の量も減る。しかし、ご聖霊(せいれい)に自分自身をゆだねる私たちは霊的に日々成長する。成長とともに適量も増えるはずである。それぞれに、自分の霊的健康状態をチェックしよう。魂(たましい)の飢(う)えかわきを感じながらも、忙しさのために聖書を読めないならば、一日休みを取り、じっくりとみ言葉を読み、祈る時間をもとう。一日の休みを補うに十分な力をいただけるだろう。魂の飢えかわきを感じることなく、もう何日も、何ヵ月も、何年も個人的に聖書を読まず、祈ることもないならば、霊的に危険な健康状態である。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる=iマタイ四・四)のである。牧師に相談し、何から始めたらよいか教えてもらい、一日も早く、霊的健康状態を回復できるよう努(つと)めよう。    

神よ。私を探(さぐ)り、私の心を知ってください。私を調(しら)べ、私の思(おも)い煩(わずら)いを知ってください。               (詩篇一三九・二三)    

  ◎ 暗誦聖句  テモテ後書一章七節
そは神(かみ)の我(われ)らに賜(たま)ひたるは、臆(おく)する靈(れい)にあらず、能力(ちから)と愛(あい)と謹愼(つつしみ)との靈(れい)なればなり。


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◆ ○ ○ の 秋 (3)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年一〇月一九日号
▽「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。」(ヨハネ四・三五前半)
   

 

   メタボはメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)のことであり、最近よく耳にするが、ロコモはご存じであろうか。ロコモティブシンドローム(運動器症候群)の略で、「筋肉、骨、関節、軟骨、椎間板(ついかんばん)といった運動器の一つ、もしくは複数に障害が起き、歩行や日常生活に何らかの障害をきたしている状態」を指すそうだ。    

 二〇一三年の厚労省国民生活基礎調査によると、要介護となる主な原因は、@運動器の障害(骨折や関節疾患)二五%、A脳卒中一九%、B認知症一六%、C衰弱一三%、その他二七%という。ロコモ予防には、バランス能力をつける「片足立ち」や、足の筋肉をつける「スクワット」を続けると良いとのこと。    

 加齢による筋力やバランス能力の低下、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)や膝、腰など様々な病気がロコモに直結する。骨や筋肉量のピークは二〇〜三〇代というから、若い時からロコモを意識し、適切な食事と運動を心がけることが大切である。運動をする時間を確保できない人たちには、●エレベーターではなく階段を使おう●いつもより遠くのスーパーまで歩こう●休憩時間に散歩をしよう●歩幅を広く、速く歩こう●地域のスポーツイベントに参加しよう、とすすめられている(二〇一四年一〇月四日の朝日新聞記事を参考)。    

 クリスチャンである私たちにとっては、教会案内や特伝案内のチラシ配布は足腰を鍛えて体にもよく、何よりも、主のためにご奉仕ができる最善策である。しかも、一人で行うなら、み言葉を黙想し、主に祈る、主とのデートである。夫婦で行うなら、配布地から家までの道は、主を中心とした夫婦のデートともなる。配布前後に、配られた案内が用いられるように一緒に祈る時間も幸いな時であろう。次のみ言葉を心にとめ、運動の秋、教会案内配布で福音を多くの人に届けよう。    

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」=iローマ一〇・一三〜一五)    

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書二章八節前半
汝(なんじ)らは恩惠(めぐみ)により、信仰(しんこう)によりて救(すく)はれたり


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◆ ○ ○ の 秋 (4)

習志野バプテスト教会週報
二〇一四年一〇月二六日号
▽「 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇一〇三・二)
   

 

  とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。
    使徒行伝一四章一七節    

 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ四・四)という御言葉を最近礼拝で学んだ。人は生きていくためにパンが必要であり、そのパンも神様がお与えくださることを学んだ。アダムが最初に罪を犯したあと「 あなたは、顔に汗を流して糧を得(る)」(創世記三・一九)と神様はおっしゃった。その通りに人は汗を流し、働き、食べ物を得ている。しかし、首記の聖句からわかるように、人が働いて糧を得られるように、自然を御支配なさり、実りの季節をお与えくださるのは神様でいらっしゃる。    

 礼拝での学びの最大のポイントは、食べ物を含めてすべての良い物をお与えくださる神様によって生かされていることを感謝し、神様に信頼して生きていくこと、であった。そのために、私たちは日毎に神様の御言葉を学び、実践することが必要である。実践しようとしても最初は上手くできないことが多い。しかし、実践する人は、自分の心の貧しさと神様の助けをいただかなければ生きていけないことを身をもって学ぶ人である。自分の力で生きている、といった高ぶった思いが入りこむ危険は少なくなる。    

 神様は私たち人間に、雨を与え、また、雨をとどめ、実りの季節を与えなければならない義務も責任も負ってはいらっしゃらない。それに、私たちは神様からそのような祝福をいただくに相応(ふさわ)しい者でもない。本当は、懲(こ)らしめか罰(ばつ)を受けるのが相応しい者である。それにもかかわらず、神様は私たちに豊かな糧、祝福をお与えくださる。まさに、「恵みをもって」である。    

 人は、獣(けもの)とは違う。神様は「食物と喜びとで、(私たちの)心を満たしてくださ(る)」。体の必要を軽んじてはいけないが、心の必要を重んじなければならないことを教えられる。神様は、私たちの体の必要を満たし、心を満たしてくださる。神様はこのようにして「ご自身のことをあかし」されているのである。しかし、これほどまでに恵み深い神様の存在を知ろうともせず、収穫(物)を喜んでいるだけの人が多い。クリスチャンである私たちは、恵みをもって雨を降らせ、おいしく、体によい食べ物と喜びを与えて、私たちの心を満たしてくださるお方の愛に感謝しよう。今号の題は、「神様のお恵みに感謝する秋」ではいかがだろう。神様の恵みを数え、感謝する時をもとう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書二章八節前半
汝(なんじ)らは恩惠(めぐみ)により、信仰(しんこう)によりて救(すく)はれたり


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